グラント
グラント(ユリシーズ=S=グラント)は、19世紀後半のアメリカ合衆国を代表する軍人・政治家であり、南北戦争において北軍を勝利に導いた将軍として知られると同時に、第18代大統領として再建期の国家運営を担った人物である。戦場では執拗な攻勢と兵站の活用によって評価される一方、大統領としては汚職事件に揺れた政権運営などから評価が分かれてきたが、近年では黒人市民権の擁護や連邦政府の権威を守った点が再評価されている。
生い立ちと軍人としての出発
グラントは1822年、オハイオ州ポイント・プレザント近郊の家庭に生まれた。家は比較的質素な農家であり、少年時代のグラントは馬の扱いに長けていたと伝えられる。17歳で陸軍士官学校ウェストポイントに入学し、成績は中位であったが、数学と騎兵技術に優れていた。卒業後は将校として従軍し、メキシコ戦争では砲兵や騎兵部隊を指揮して実戦経験を積み、後の南北戦争での指揮官としての基礎を形づくった。
南北戦争と北軍の勝利
南北戦争勃発当初、除隊していたグラントは一時的に民間生活を送っていたが、戦争の拡大にともない北軍に復帰した。イリノイ州志願兵部隊の指揮官から出発し、テネシー方面軍の指揮を任されると、フォート・ヘンリー、フォート・ドネルソン攻略に成功し、「無条件降伏」を迫る強硬な姿勢で名を高めた。続くシャイローの戦いでは大きな損害を出しながらも辛勝し、戦略的主導権を西部戦線で掌握していった。
ビックスバーグ攻略と戦略的視野
1863年のビックスバーグ攻略はグラントの軍事的才能を示す代表例である。ミシシッピ川流域の補給線を巧みに操作し、包囲戦によって南軍要塞都市ビックスバーグを陥落させたことで、北軍はミシシッピ川の完全掌握に成功した。この勝利はアメリカ連合国を東西に分断し、南軍の戦略的余地を大きく奪うことになった。
総司令官就任とリー将軍への圧力
ビックスバーグの戦果などを背景に、リンカン大統領は1864年にグラントを北軍総司令官に任命した。総司令官となったグラントは、各戦線の作戦を連動させて南軍の主力を同時多発的に攻撃する作戦を立案し、とくにバージニア戦線ではロバート=E=リー率いる南軍主力に対し、損害をものともせず持久戦を展開した。オーバーランド作戦からピーターズバーグ包囲戦にいたる消耗戦の末、南軍は戦力を失い、最終的にリーはアポマトックス・コートハウスで降伏した。
戦争終結と寛大な降伏条件
アポマトックスでの降伏交渉において、グラントはリー将軍とその部下に対し、軍人としての名誉を尊重した比較的寛大な条件を提示した。武装解除を行いつつも将兵の個人所有の馬は持ち帰ることを認めたことは、農民としての生活再建に配慮した措置であったとされる。この寛容な態度は、南北間の和解を進める第一歩と見なされ、戦後の再統一を円滑にする象徴的な出来事となった。
大統領としての再建政策
戦争英雄となったグラントは、1868年の大統領選挙で共和党の候補として立候補し、勝利して第18代大統領に就任した。彼の政権の中心課題は、南北戦争後の再建(リコンストラクション)と、解放された黒人の市民権の保障であった。奴隷解放宣言を継承しつつ、連邦政府の権限を用いて黒人に対する暴力や選挙妨害を取り締まり、クー・クラックス・クラン(KKK)への弾圧を行った。
黒人市民権と連邦政府の役割
グラント政権は、第15条憲法修正の施行を支え、黒人男性の選挙権を守るための執行法を整備した。南部諸州での連邦軍駐留や連邦裁判所の権限行使は、州権を重視する南部白人からは反発を招いたが、連邦政府が市民の基本権を守る責任を負うという原則を実践した点で重要であった。この過程で南北戦争後の政治秩序は大きく変容し、連邦主義と市民権のあり方が再定義された。
汚職事件と経済危機
一方でグラント政権は、側近や政商が関与した汚職事件によって大きく揺れた。ウイスキー・リング事件などの不正は政権の信用を損ない、閣僚や高官の人事における縁故主義も批判された。また、1873年の恐慌はアメリカ経済に深刻な打撃を与え、鉄道投機と金融不安が失業と不況を広げた。こうした要因は、グラントの政治的評価を長らく低く押し下げる一因となった。
内政・西部政策と社会変化
グラントの時代には西部開拓がさらに進み、先に制定されたホームステッド法などの政策が農民や移民の移住を促進した。鉄道網の拡大は産業化と市場統合を進める一方、先住民との紛争を激化させた。グラントは「平和政策」を掲げ、先住民を保留地に移住させ、キリスト教団体にインディアン局の運営を委ねる方針をとったが、現地の暴力や土地収奪を完全に抑えることはできなかった。
退任後の生活と回想録
1877年に大統領を退任したグラントは、妻とともに世界旅行に出て各国で歓迎を受け、その名声の高さを示した。帰国後は投資の失敗により財政的困難に陥り、晩年には喉頭がんを患うことになる。経済的困窮と病に直面したグラントは、家族の生活を守るために自らの軍歴と政治経験をまとめた『回想録』の執筆に取り組み、死の直前に完成させた。この回想録は簡潔で率直な文体が高く評価され、アメリカ軍事史・政治史の重要史料となっている。
歴史的評価と遺産
グラントの評価は時代によって大きく揺れてきた。20世紀前半には、汚職にまみれた無能な大統領というイメージが強調され、リー将軍を称揚する南部中心の歴史像の中で相対的に低く見られた。しかし、黒人市民権を守るために連邦権力を用いた姿勢や、南北戦争での総力戦指揮の能力が注目されるにつれ、近年の研究では再建期大統領の中でも重要な役割を果たした人物として位置づけられつつある。軍人としての現実的な判断力と、政治家としての限界を併せ持つグラントの生涯は、19世紀アメリカの転換期を象徴する存在であるといえる。