ウェストミンスター憲章|自治領を対等な国家へ

ウェストミンスター憲章

ウェストミンスター憲章は、1931年にイギリス議会が制定した法律であり、カナダオーストラリアなどの自治領に対して本国と同等の立法上の地位を認めた画期的な憲章である。これによって自治領は、もはやイギリス帝国の従属的な植民地ではなく、「対等な共同体」として扱われるようになった。第一次世界大戦後、自治領は戦争への貢献を通じて国家としての自覚を強め、本国からの法的自立を求める声が高まったが、この要求に制度的な形を与えたのがウェストミンスター憲章である。

成立の背景

19世紀後半以降、イギリス帝国は白人植民地に自治政府を与え、やがて「自治領」と呼ばれる地位を確立させた。しかし対外関係や最終的な立法権はロンドンに残されており、自治領の主権は限定されていた。第一次世界大戦でカナダオーストラリアニュージーランド南アフリカなどが多大な犠牲を払うと、帝国内での「対等な国家」としての承認を求める動きが強まった。

バルフォア報告と帝国会議

1926年のイギリス帝国会議では、いわゆるバルフォア報告が採択され、「自治領は地位において対等であり、いかなる点においても互いに従属しない」と宣言された。しかしこれは政治的宣言にとどまり、法的な拘束力は弱かった。そこでこの原則を成文化し、イギリス議会立法として確認するために準備されたのがウェストミンスター憲章である。

憲章の主要な内容

ウェストミンスター憲章は、自治領の立法権とイギリス本国の立法権の関係を明確に整理した点に特徴がある。憲章は、イギリス議会の法律が自治領に及ぶのは、当該自治領の同意がある場合に限ると定め、さらに自治領議会がイギリス制定法を修正・廃止する権限を認めた。

  • イギリス議会の新法は、自治領の要請または同意がないかぎり、その地域に自動的には適用されない。
  • 自治領議会は、従来のイギリス制定法と抵触する法律を制定することが認められ、その場合には自治領法が優先する。
  • 国王は引き続き共通の元首とされたが、その権限行使は各自治領政府の助言に基づくとされた。

対象となった自治領

ウェストミンスター憲章は、当初カナダオーストラリアニュージーランド南アフリカアイルランド自由国、ニューファンドランドなどの自治領を念頭に置いていた。ただし、各地域が憲章の全条項を受け入れる時期には差があり、国内政治の事情に応じて漸進的に適用が進められた。

  • カナダは早くから憲章を積極的に利用し、独自の外交・立法を展開した。
  • アイルランド自由国は、条項を利用してイギリス王権との結び付きを弱め、のちの共和国化への道を開いた。
  • ニューファンドランドは財政難から自治領を返上し、後にカナダへ編入された。

帝国からコモンウェルスへの転換

ウェストミンスター憲章は、形式的には一つの法律にすぎないが、その歴史的意味は大きい。従来、帝国中心に位置づけられていたロンドンの権限を制限し、自治領を対等な国家として認めたことで、帝国はゆるやかな国家連合、すなわち「イギリス・コモンウェルス」へと性格を変えていった。とくにアイルランド自由国の動きは、のちの北アイルランド問題とも関わりながら、帝国内での主権と統合のあり方に新たな課題を突きつけた。

歴史上の意義

このようにウェストミンスター憲章は、植民地帝国から主権国家の連合体への移行を制度的に示した文書である。憲章によって自治領は自国の立法と外交を主体的に行う道を開き、その後の完全独立や共和国化の過程を促進した。他方で国王を共通の象徴として残したことは、帝国崩壊ではなく、ゆるやかな連合としての再編を志向した点を示している。この折衷的な構図こそが、20世紀のイギリス帝国からコモンウェルスへの変容を理解するうえで重要な鍵となる。