オーストラリア|多文化社会と資源大国

オーストラリア

オーストラリアは、南半球に位置する大陸国家であり、一国のみで大陸を占めるという特徴をもつ。インド洋と太平洋に面し、広大な砂漠地帯と沿岸部の肥沃な平野が共存する国土を背景に、独自の自然環境と多文化社会を形成してきた。首都キャンベラと最大都市シドニーを中心に、政治・経済・文化が展開され、現代では資源大国であると同時にサービス産業も発展した先進国として国際社会で重要な役割を果たしている。

地理的位置と自然環境

オーストラリアは、一般にオセアニアに分類されるが、インド洋と太平洋を結ぶ要衝にあるため、アジアや太平洋諸国との結びつきも強い。国土の内陸部には「アウトバック」と呼ばれる乾燥地帯が広がり、降水量の少ない砂漠・ステップ気候が支配的である一方、東海岸や南西部には温暖で比較的雨量の多い地域が分布する。コアラやカンガルー、カモノハシといった固有の生物は、大陸が長く孤立してきた歴史を反映しており、世界でも貴重な生態系を形づくっている。

先住民アボリジニの歴史

オーストラリアには、ヨーロッパ人到来以前からアボリジニと呼ばれる先住民が暮らしてきた。最新の研究では数万年前から大陸に定住していたとされ、独自の言語、宗教観、口承伝承を通じて土地との結びつきを保ってきた。彼らの世界観は「ドリーミング」と呼ばれる神話体系に象徴され、自然環境と祖先の物語が密接に結びついている。近代以降の世界史のなかで、植民地支配や同化政策により伝統的な生活は大きく変容し、多くの権利侵害も経験したが、20世紀後半からは土地権回復や文化の再評価が進みつつある。

ヨーロッパ人の進出と植民地化

オーストラリアへのヨーロッパ人の本格的な進出は、18世紀末にイギリスが流刑植民地としてシドニー湾周辺に入植したことに始まる。当初は囚人輸送を目的としていたが、金鉱の発見や羊毛生産の拡大により、19世紀には移民が急増し、農牧業と鉱業を基盤とする社会が形成された。この過程でイギリス帝国の一部として統治され、自治植民地を経て、政治的自立への機運が高まっていった。同時に、開拓の進展は先住民社会との対立や土地の収奪を伴い、その影響は現在も和解政策や歴史認識をめぐる議論の重要な背景となっている。

連邦成立と政治体制

20世紀初頭、複数の植民地は連合し、1901年にオーストラリア連邦として独立した。国家元首には国王(国王代理として総督)が存在し、形式上は君主国でありながら、憲法に基づく民主主義を採用する立憲君主制国家である。議会は上下両院から成る連邦議会で、政党政治の下で内閣が組織される点で議院内閣制の典型例とされる。イギリスとの関係を維持しつつも、徐々に独自の外交・防衛政策を展開し、第二次世界大戦後はアジア太平洋地域の安全保障や経済協力に積極的な役割を果たしている。

経済構造と主要産業

オーストラリア経済は、鉱業・農牧業・サービス産業がバランスよく組み合わさっている。鉄鉱石や石炭、天然ガスなどの資源輸出は国際収支に大きく貢献し、小麦や牛肉、羊毛といった農産物も重要な輸出品である。一方で都市部では金融、観光、教育、ITなどの第三次産業が拡大し、とくに留学生や観光客の受け入れはアジア太平洋地域との結びつきを強めている。主要な貿易相手国にはアメリカ合衆国や東アジア諸国が並び、自由貿易協定や地域経済圏を通じて経済的な相互依存を深めている。

  • 資源輸出に依存しつつも、価格変動への対応として経済の多角化を進めている。
  • 高等教育や観光は、ソフトパワーと外貨獲得の両面で重要な役割を果たす。
  • 環境保護と資源開発のバランスが、今後の政策課題となっている。

多文化社会と国際関係

オーストラリア社会は、多様な移民によって構成される多文化社会である。歴史的にはヨーロッパ系移民が多数を占めたが、20世紀後半以降はアジアや中東などからの移民も増え、宗教・言語・生活習慣の多様性が高まった。政府はかつての人種差別的な「白豪主義」から政策転換を図り、多文化主義を掲げて社会統合を進めてきた。対外的には、伝統的な同盟国との関係を維持しながら、アジア太平洋地域の国々との経済・安全保障協力を強化し、自国を「西洋」と「アジア」を結ぶ架け橋として位置づけている。