イブン=サウード|サウジアラビア建国の父

イブン=サウード

イブン=サウードは、20世紀前半にアラビア半島の諸部族と宗教勢力を統合し、現代サウジアラビア王国を建設した君主である。本名はアブドゥルアズィーズ・イブン・アブドゥッラフマーン・サウードで、しばしばアブドゥルアズィーズ国王とも呼ばれる。彼は内陸のネジド地方を拠点とするサウード家の当主として、オスマン帝国の衰退と列強の進出が進む中で支配領域を拡大し、1920年代にヒジャーズを征服してイスラーム教の聖地メッカとメディナを掌握した。その統一王権は、厳格な宗教体制と部族支配を基礎としつつ、石油開発と対英米外交を通じて近代国家としての枠組みを整えた点に特徴がある。

生い立ちとサウード家の背景

イブン=サウードは1870年代にネジド地方の首都リヤドで生まれ、第二次サウード王国の支配者家門に属していた。しかし19世紀末、ネジドにおける覇権はハーイルを拠点とするラシード家に移り、サウード家一族はクウェートへ亡命する。幼少期のイブン=サウードは亡命先で部族社会の慣行と宗教教育を受けながら、失われた領土の回復を目標として育てられた。この経験は、のちに彼が軍事行動と部族連合によって勢力を回復しようとする姿勢を形づくることになる。

リヤド奪回とネジド支配の拡大

1902年、若きイブン=サウードは少数の配下とともにリヤドへ奇襲をかけ、要塞マスマク城を攻略して故郷の都を奪回した。この行動はサウード家復興の象徴的事件とされ、その後の支配拡大の出発点となる。彼はネジド各地の部族長と同盟・婚姻関係を結びつつ、反抗的勢力を軍事的に鎮圧していき、1910年代までにネジド一帯に対する覇権を確立した。この過程で、彼は宗教的にはワッハーブ派と結びつき、部族戦士と宗教的熱情を兼ね備えた戦闘集団「イクワーン」を組織して自らの軍事力の中核とした。

第一次世界大戦と列強との関係

第一次世界大戦期、アラビア半島は、衰退するオスマン帝国とそれを押し返そうとするイギリスの思惑が交錯する地域となった。イブン=サウードは、ヒジャーズのハーシム家のフサインと並ぶ有力首長として、イギリスと協調関係を築き、1915年には保護条約によってその勢力が一定程度承認される。一方で、オスマン側と結びついたラシード家との対立は続き、ネジドにおける覇権争いは戦後処理とも絡みながら、第一次世界大戦後の中東秩序に影響を与えた。

ヒジャーズ征服とアラビア統一への道

戦後、フサインがヒジャーズ王国を樹立すると、メッカをめぐってイブン=サウードとの緊張が高まった。1920年代前半、イクワーンを先頭とする彼の軍は内陸からヒジャーズに進出し、1924年から25年にかけてメッカ・メディナ・ジッダを次々に制圧する。こうしてフサインのヒジャーズ王国は崩壊し、聖地を支配下に置いたイブン=サウードは、イスラーム世界における宗教的威信を獲得した。彼は1926年にヒジャーズ王およびネジド国王として即位し、アラビア半島西部と内陸部を事実上統合するに至った。

サウジアラビア王国の成立

その後もイブン=サウードは東部の石油地帯を含む地域を支配下に組み込みつつ、イクワーンの急進的行動を抑制し、中央集権的な統治体制を整えていった。1927年には英側と新たな条約が結ばれ、彼の支配は独立支配者として承認される。1932年、ネジド及びヒジャーズなど諸地域を正式に統合して「サウジアラビア王国」が成立し、彼はその初代国王となった。この王国は、サウード家の家長である国王とイスラーム法学者(ウラマー)が支配の正統性を支える構造を持ち、宗教と世俗権力が密接に結びついた体制として特徴づけられる。

宗教体制と統治の性格

イブン=サウードの支配は、厳格なイスラーム教解釈を掲げるワッハーブ派の教義と結びつき、公共空間や司法においてイスラーム法が重視された。他方で、国王は部族長を宮廷に取り込み、婚姻や恩顧関係を通じて忠誠を確保する伝統的な統治技法も用いた。こうした家父長的支配は近代的官僚制と併存し、税制・治安維持・行政機構の整備を通じて中央集権化が進められたが、政党政治や議会制度の導入は行われなかった。彼の時代に確立した王権構造は、のちのサウジアラビア政治の基本的枠組みとして現在まで継承されている。

石油開発と対外関係

1930年代、イブン=サウードは東部州における資源開発をめぐって外国資本の導入を進めた。1933年には米企業と石油利権契約を結び、その後の試掘によって膨大な埋蔵量が発見され、王国財政は劇的に好転する。これは、アメリカ合衆国との関係強化を通じてサウジアラビアを国際政治に組み込む契機となった。第二次世界大戦期、彼は形式的には中立を保ちながらも、英米との協力関係を維持し、戦後体制の下で石油輸出国としての地位を固めていく。この過程で、アメリカ合衆国との戦略的同盟関係は、のちの冷戦構造と中東安全保障体制の一部をなすようになり、第二次世界大戦後の国際秩序にも影響を与えた。

歴史的意義と評価

イブン=サウードは、分裂していた部族社会と宗教勢力を武力と同盟関係によって統合し、アラビア半島に初めて広域的な統一王国を築いた点で、「国家形成者」として評価される。また、宗教的正統性を基盤とする絶対王制と、石油収入を財源とする近代国家運営を結びつけたことは、中東における独自の政治モデルを提示したともいえる。他方で、その体制は政治的多元性や市民的自由を限定し、部族・家族・宗教エリートに権力と富が集中する構造を持つという批判もある。いずれにせよ、彼の時代に確立されたサウジアラビアの政治・社会秩序は、20世紀以降の中東世界と国際エネルギー市場を理解するうえで欠かせない枠組みとなっている。