鄒衍 すうえん
鄒衍とは、斉の出身の戦国時代後期に活躍した思想家である。陰陽五行家系統の思想家。資料については『漢書』芸文志は、「鄒子終始」五十六篇と「鄒子」四十九篇の二種類の書名を上げているが、あいにく現代には残っておらず、司馬遷が鄒衍の思想の概略を記すのみである。元は儒教を学んで君主に自分を売り込んだが伸び悩み、推という特殊な方法論を確立してから大きく飛躍する。
推
鄒衍独特の類推方法。時間に関して戦国当時から黄帝に到るまでの栄枯盛衰と瑞祥との対応関係の検討に基づき、それを基礎として天地がいまだ分離しない宇宙生成の時点にまで遡る。空間にかんしては中国内の地形や生物などの観察にもとづき、それを基礎として、確認することができない、海外の地理にまで思索を進めた。このことは論理に致命的な飛躍があるものの、神話的な語り口であるものの、『史記』に「深く陰陽の消息を見る」、「まず小物を験して推して之を大にす」というように現実の観察から出発し、未知の領域に類推をすすめるという点で、科学的方法論の特徴があったといえる。推は当時の中国では、一般的に広く認識されていたが、墨子が批判するように何度も繰り返すうちに正しさが失われ、本質からかけ離れてしまう。
儒教の影響
鄒衍は推という奇抜な語り口を取ったが、思想は儒教の影響が強い。堕落した君主に仁義道徳を求め、質素倹約を体質にし、君臣や上下の身分秩序をただし、親族間で争わないことを説いた。鄒衍が儒教や墨子に対して、人間社会しか見ず、天界に対する認識が欠落しているとして批判しながらも、時間と空間に壮大な学説を掲げその体系に儒教的思想を組み込んでいる。
五徳終始説
最初に、現代から最古の帝王である黄帝の時代までについて歴史を記述し、その期間に生じた栄枯盛衰と瑞兆や王朝の制度との対応関係をあげる。この対応関係から天地が存在しなかった暗黒時代まで遡り、それについて追求不可能なところにやがり着く。最後には宇宙でご種類の徳が循環するのにつれてそれぞれの王朝に適合した統治方法があり、いかに対応しているかを記述する。