虎尾の会
虎尾の会とは、清河八郎、山岡鉄舟、伊牟田尚平らによって攘夷を目指して結成された会である。幕府により、日米修好通商条約の調印されると、攘夷の気運は高まることになる。井伊直弼が力を持つようになると、安政の大獄や桜田門外の変がおこるなど社会不安が広まる中、出羽国清川村の尊攘派浪士の清河八郎のもとには尊攘倒幕を目指す山岡鉄舟や薩摩藩の伊牟田尚平(いむたしょうへい)らが集った。
目次
1860年のヒュースケン暗殺
虎尾の会の伊牟田尚平らが、1860年のアメリカ公使館通訳のヒュースケン暗殺を実行した。1861年には幕府の策謀の下、清河八郎は町人を殺してしまい、それをきっかけに以後1年半おたずねものとなり、虎尾の会が解散した。
虎尾の会の由来
「虎の尾を踏む」の故事にちなみ名付けられ、国のためならどのような危険も顧みず実行するということ。
虎尾の会の構成メンバー
虎尾の会には幕臣である山岡鉄太郎や松岡万が参加した。また薩摩藩の藩士として、伊牟田尚平、樋渡八兵衛、神田橋直助、益満休之助、美玉三平らがいる。その他、多数の浪人を束ねた。