藤原冬嗣|嵯峨天皇の信任と藤原北家の繁栄

藤原冬嗣

藤原冬嗣は、平安時代に活躍した公卿。嵯峨天皇の信任が篤く、薬子の変を収めたあと、蔵人頭に任命された。藤原式家は衰退し、北家が主流に取って代わるようになる。その後の藤原北家の繁栄のための基礎を築いた。文武の才能に優れていたと記録されている。

目次

薬子の変

藤原冬嗣は、嵯峨天皇が即位する前の東宮時代から仕えており、嵯峨天皇の信任も篤かった。薬子の変(平城太上天皇の変)を収めたことが評価され、蔵人所が設置されるにともない、初代の蔵人頭に任命される。

左大臣

825年(天長2)には、父である内麻呂より、一階級上の左大臣に就任する。

勧学院

藤原氏一族の子弟の教育機関として勧学院(かんがくいん)を設立し、氏寺(うじでら)の興福寺に南円堂(なんえんどう)を建立した。また、貧民のためには施薬院を復興している。

順子

藤原冬嗣の娘である順子は、仁明天皇の女御となり、文徳天皇を生む。これをきっかけに藤原北家の繁栄が始まっていく。