神即自然
神即自然とは、神は自然であり、自然を知ることは神であるという、スピノザの考え方。スピノザのこの主張は、無神論的な汎神論は、当時、批判を受けた。
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スピノザの神
スピノザは、実体は自己自身において存在し、自己自身によって理解されうるものである。すなわち、神は、概念が他のものの概念を必要としないで構成されるものと定義される。では、その定義を満たす実体とは神でなければならない。神は、無限に多くの属性を持つ実体であると定義するが、神がこうしたものであるとすれば、第一に必然的に存在するといえる。神が実体である以上、それは全然他のものから生ずることのできない独立的なもの自己原因であるから、それは自己自身によって存在するものである。第二に神という実体が存在するとすれば、神の外にはいかなる実体は存在しない。神は無限の属性をもっているので、神の外に実在があるとすれば、定義に反してしまう。神は外にはいかなる実体も存在せず、したがってすべてのものはみな神のうちにあり、またいかなるものも神無くしては存在することができない。即ち、すべてのものは神の外に独立に存在することはなく、神によって生ぜしめられ神のうちに存するのである。それは神という実体の様態として存するのみである。こうして神とその他にはなにも存在せず、神は一切のものを生ぜしめる第一の原因でなければならない。
神は一切である
一切の事物は神により、必然的に生ぜしめられたものであり、一として偶然のものは存在しない。神と事物との関係は原因と結果との関係である。しかし、この原因と結果は時間的な因果関係ではなく、永遠の相の下に考察された関係である。個々の事物は神を原因とするが、それは神の現れということになる。神は永遠にその導出されたものを自己のうちに含み、世界と神とは切り離すことはできない。神はそのまま自然であるといえる。