生麦事件|薩摩藩によるイギリス大使殺害事件と薩英戦争

生麦事件

1862年8月、イギリスの商人リチャードソンらが大名行列の前を横切ったたため、礼を欠いたとして殺された事件。薩摩藩主の島津久光は朝廷の使者として、江戸に幕政改革を伝えたがその帰路、東海道の生麦(現在の横浜市鶴見区)を通行しているとき、英国人商人リチャードソンら4人が通りかかった。通例、大名行列に遭遇したときは、馬から降りる決まりがあったが、彼らはそれを知らず4人は馬に乗ったままであった。これに起った薩摩藩士は、無礼討ちを行い、リチャードソンは死亡、2名は重傷。女性1名は傷をおわなかったが、頭の髮を剃そられた。生麦の横で起ったため生麦事件と呼ばれる。賠償を求めたイギリス政府と薩摩藩との間で薩英戦争が勃発する。

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ヒュースケン

万延元年(1860)12月にも、江戸でアメリカ公使館通訳のヒュースケンが殺害されている。犯人は虎尾の会の清河八郎か伊牟田尚平が疑われた。

イギリス仮公使館

文久元年(1861)、犯人は、水戸浪14人による江戸高輪のイギリス仮公使館の襲擊事件。

毛糸の高騰

開国以来、日本の輸出物の7割が生糸であったため、国内の生糸価格が上昇し、京都の主産業である、西陣織が大打撃であった。安政の貿易港の開港以来、京都西陣で生糸が2倍、横浜で3倍となった。京都では尊皇攘夷の嵐が吹き荒れた。生麦事件でケガをしたマ—シャルも生糸商人だった。

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