物自体
物自体とは、カントの認識論において重要な言葉で、感覚的に知覚できない、物それ自体のことを示す。カントによれば、われわれの認識は、物それ自体を直接認識することができない。リンゴそれ自体の形や味、匂いを認識することができず、認識できるのは、リンゴそれ自体から感覚機関を通した形、味、匂いである。
時間と空間
カントによれば、我々がものを認識するとき、物自体から、われわれの認識の形式である時間と空間を通して、現れる現象を認識しているのにすぎない。従って、たとえばリンゴを見る時、そのリンゴそれ自体がどのような形をしているかを認識できないのである。それを超えて、物自体を知ることは不可能であり、カントは、ここにわれわれの認識・理性能力の限界を見出した。
超越論的観念論
物自体の説明が、すべての我々の経験の基盤にあるとし、我々の認識を超越しているため、超越論的観念論といわれる。
『プロレゴメナ』カント
物は、我々の外にある対象であると同時に、また我々の感官の対象として我々に与えられている。しかし物自体がなんであるかということについては、我々は何も知らない、我々はただ物自体の現れであるところの現象がいかなるものであるかを知るにすぎない。換言すれば、物が我々の感官を触発して我々のうちに生ぜしめる表象がなんであるかを知るだけである。(『プロレゴメナ』カント)
外的な物の実在はしばらくおき、かかる物に付せられる多くの述語について言えば、これらの述語は物自体に属するのではなくて、物自体の現われであるところの現象に属するにすぎない。(『プロレゴメナ』 カント)
『純粋理性批判』カント
すべてわれわれの直観は、現象についての表象にほかならない・・・われわれが直観する物は、それ自体においては、われわれがそれを直観するとおりのものであるわけではないし、それらの物の諸関係も、それ自体においては、それらがわれわれに現象するとおりのものを成しているわけでもない
『純粋理性批判』カント
それらは現象であるから、それら自体においては存在することができず、ただわれわれの内においてのみ存在しうるにすぎない。対象がそれ自体において、われわれの感性のあらゆるこうした受容性から離れていかなるものでありうるかは、われわれにはまったく未知のままである。