法華義疏|聖徳太子の三経義疏のひとつ,勝鬘経,維摩経

法華義疏

法華義疏は聖徳太子が著した法華経の注釈書である。勝鬘経(しょうまんきょう)・維摩経(ゆいまきょう)などとともに聖徳太子の「三経義疏」と呼ばれる。中世以降、法隆寺隆盛の基礎ともなる聖徳太子の遺品として、語り伝えられている。

目次

法華義疏の作成について

法華義疏の作成については、聖徳太子の個人の成果と伝えられる傾向にあるが、聖徳太子と高句麗僧の恵慈(えじ)をはじめとした渡来系の僧侶たちとの共同研究により作成されたと考えられている。彼らの仏教経典の研究会の成果の一部として、法華経の注釈書「法華義疏」3部各4巻が公表された。

恵慈の帰国

法華義疏の作成期間は、研究会の重要人物であった恵慈(えじ)の帰国が目前に迫ったため、構想からわずか約1年あまりでだったと考えられている。研究は恵慈(えじ)が抜けたことにより終了したと考えられる。

勝鬘経・維摩経

法華経は勝鬘・維摩の両経を結合する主題をもつ点で、最終テーマとされていた。勝鬘経は、篤心の仏教信者である勝鬘夫人に釈迦が説いた経典であるため、聖徳太子が女帝である推古天皇に進講を行うさいに取り上げた