来目皇子|新羅征討計画の将軍

来目皇子(くめ)

来目皇子は、用明天皇の皇子。聖徳太子の同母。大和政権では、軍事部門を担当した大伴氏の配下であった。軍事に明るく、新羅征討計画の将軍として選ばれたが、九州筑紫の中で病にたおれ、遠征はとりやめになり翌年2月、筑紫で没した。

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新羅遠征

602年、豊浦(とゆら)宮に召集された御会議で、来目皇子が新羅征討の将軍として選ばれる。2万5000人が集まったが、来目皇子は九州の筑紫で病気で倒れたため、遠征が中止になった。

新羅出兵の目的

新羅出兵の目的は、新羅に併合された加羅(から)(任那(みまな))諸国を新羅の支配から切り離すことにある。そのために目来皇子が率いる軍隊は九州筑紫(つくし)に集結し、船や食料を集めて戦の準備をすすめた。派遣軍には、地の国造所属の兵士が多数動員されるほか、戦勝を祈願する神職団の神部と、兵器製作技術をかわた渡来人たちも加わっている。