暗黒時代
暗黒時代はエーゲ文明の滅亡から古代ギリシアにかけた約400年の歴史である。ほとんど史料が残っておらず、文化的・経済的活動が停滞しているように見えるため暗黒時代とよばれている。以前は古代ギリシアが生まれるまで、エーゲ海周辺は人類に未開の地として人々は思っていたが、エーゲ文明の発見からエーゲ海周辺にも文明が栄えていたことが知られていた。しかし、そのミケーネ文明が滅亡して以降、古代ギリシアが台頭するまで400年間はよくわかっていない。
一般的には西ローマ帝国滅亡後のヨーロッパ、つまり中世初期(5世紀後半から10世紀頃)を示すことが多いが、ギリシア史においては紀元前1100年頃から紀元前800年頃までの時期も暗黒時代と呼ばれる。いずれの場合も、社会構造や文化伝統の断絶、あるいは記録の散逸によって後世からの評価が困難となり、この名称が定着している。

エーゲ文明
概念の由来
暗黒時代という呼称は、ルネサンス期以降に古代と近代の間を文明の「暗い」期間とみなす視点から生まれた。古代ローマや古代ギリシアの遺産が失われたように見え、都市活動や文化発展が停滞したと考えられたためである。しかし、近年の研究では細やかな地域差や文化的継承が存在することが示され、必ずしも「暗く停滞した時代」一色ではないとも評価されている。
時代の区分と範囲
西ヨーロッパの場合はおおむね5世紀末から10世紀頃までを暗黒時代と位置づけるが、その範囲は固定的ではない。地域ごとに政治体制の変化や王国の盛衰が異なるため、ゲルマン諸王国の勃興や、キリスト教の普及による社会再編が一部地域では比較的早期に進展した。ギリシアにおける暗黒時代は、ミケーネ文明の崩壊後からポリスの成立までを指し、文字記録の乏しさと社会の変容が特徴となる。いずれにせよ、歴史資料の限られた点が「暗黒」という呼称の背景にある。
西ヨーロッパにおける暗黒時代
西ローマ帝国崩壊後、ゲルマン系諸部族が各地に建国する過程で中央集権的な行政組織やインフラが崩壊し、都市生活が衰退したとされる。この時代には文字記録の作成も限定的であることから、政治や社会について断片的な情報しか残されていない。だが近年の考古学的調査によって、農業技術の継承や修道院を中心とした学芸活動が続いていた点も明らかになり、必ずしも一律に停滞していたわけではないという見解も強まっている。
ギリシアの暗黒時代
ギリシア史における暗黒時代は、ミケーネ文明の崩壊(紀元前1200年頃)から紀元前8世紀頃までを大まかな区分とする。線文字Bの使用が途絶え、文字を使った記録が極めて少ないため、建築や美術などの直接的遺物から状況を推察する以外に手段が限られる時代である。しかし、後に古代ギリシア文明の根幹となる鉄器技術の普及や集団移住が進んだのもこの時期であり、「闇」とされながらも重要な変革が水面下で起こっていたと考えられている。
ドーリア人
前12世紀ごろドーリア人はギリシアの多くの部分を征服し、そこの先住民を支配するが、先住民の一部分は海を越えて、対岸の小アジアの沿岸や付近の島々へ移住した。また、ドーリア人の一部分もそれに続いて、ペロポネソス半島からクレタ島へ渡り、さらに小アジア沿岸の南部へも移住した。その結果、小アジアの沿岸にはアイオリス人、中部にイオニア人、南部にドーリア人が定着した。なお、ペロポネソス半島の一部には北西方言群の人々がとどまった。
ホメロスの叙事詩
前800年ころ成立したホメロスの叙事詩は、トロヤ戦争の結末とそのあとのギリシア人たちの帰還の運命をうたっているが、そこに描かれた社会や生活はミケーネ時代のものではなく、暗黒時代からホメロスの時代までの社会を繁栄していることを示唆している。
ギリシア語アルファベット
フェニキア文字を手本にギリシア語アルファベットを発明した。
鉄器
ギリシア・エーゲ世界には古く青銅器が使われていたが、暗黒時代に鉄器が普及した。
貴族政へ移行
暗黒時代は各地で強力な王国が存在せず、比較的小さな都市が生まれ、王政はしだいに衰退し、貴族政へ移行したと考えられている。例外としてはスパルタがあげられる。
文化的背景
- 書記制度が一時的に廃れることで、口承文化が発展した
- 修道院や宗教施設が学問や文化の担い手として機能した
- 交易ルートの変化により、地域間の文化交流が形を変えて継続した
- 武装勢力や王国の移動に伴い、技術の伝搬と混合が起きた
歴史学的評価
暗黒時代の概念は一括りにできないほど多様であり、研究者間でもその評価は揺れている。かつては何も発展しない停滞期だと見なされたが、近年の発掘調査や文献再検討によって、社会再編や技術革新が着実に進んでいた面が明らかになった。政治権力や交易ネットワークが再構築され、宗教的権威と結びつきながら地域社会の秩序が形成されるなど、ポジティブな側面も見逃せないという指摘がある。したがって「暗黒時代」という呼称は現代の史学界において再評価の対象になっている。