戦略防衛構想(SDI)|レーガン大統領による対ソ防衛構想

戦略防衛構想(Strategic Defense Initiative, SDI)

戦略防衛構想(せんりゃくぼうえいこうそう、英語: Strategic Defense Initiative, SDI)とは、、アメリカのレーガン大統領による対ソ防衛構想である。1983年、ロナルド・レーガン大統領によって発表された。通称「スターウォーズ計画」。この計画の目的は、ソ連から発射される大陸間弾道ミサイル(ICBM)を宇宙に配備された兵器によって迎撃し、撃墜することであった。レーガン大統領はこの構想を発表し、「スターウォーズ」演説として広く知られるようになった。しかし、1993年に開発は中止された。

計画の概要

戦略防衛構想は、非核兵器を用いて核兵器を制圧し、防御力によって攻撃力を中和することを目指していた。この構想は相互確証破壊(MAD)戦略を否定し、核兵器を絶対兵器の座から引きずり落とす画期的な防衛体系であった。具体的には、飛翔中のICBMを4段階(加速・上昇段階、複数弾頭が軌道に乗る段階、宇宙空間飛翔段階、終末段階)に分けて迎撃する層状防衛(レイヤード・ディフェンス)を構想していた。

プロパガンダ

アメリカは戦略防衛構想を打ち出したが、ソ連が崩壊した後、ソ連に対するプロパガンダであることがわかる。宇宙空間を猛烈なスピードで飛来する小さなミサイルに照準を合わせ、遠距離からレーザーを正確に照射することは不可能であり、ソ連を核軍縮の交渉にひきずり出すため、すぐにでも実現可能であるかのように宣伝していた。

核による均衡

冷戦時代、米ソで軍拡政策が続き、もし相手が核ミサイルを発射したら、相手の国を全滅させるだけの核ミサイルを報復として打ち込むという核抑止論に基づいて、米ソとも大量の核兵器とミサイルを所有した。

技術と兵器

SDIの技術的な構想には、レール・ガン(電磁波砲)衛星、レーザー衛星、粒子ビーム衛星などが含まれていた。また、レーザー光や粒子ビームを反射して攻撃するミラー衛星、小型非核ロケット弾を連続発射する「スウォーム」システム、ASAT(衛星攻撃)兵器や衛星防衛衛星など、さまざまな計画が進められていた。

技術的・資金的課題

SDIはその技術的な難しさや巨額の資金を必要とするため、様々な困難に直面した。特に、宇宙空間に兵器を配備するための技術的・経済的な課題は大きかった。また、技術的な実現可能性についても多くの疑問が呈された。

ゴルバチョフ

アメリカの戦略防衛構想完成のニュースは、劣勢に置かれるソ連の立場を危惧したゴルバチョフは、米ソ親和政策路線の外交政策をとった。

冷戦終結とSDIの縮小

1980年代後半になると、ソ連のミサイルによる全面的なアメリカ攻撃の可能性が減少し、1989年にはSDIの予算が減額された。冷戦終結後、ジョージ・H・W・ブッシュ政権は湾岸戦争中に「限定攻撃に対するグローバル防衛」(GPALS)構想を発表した。この構想ではSDIの主要技術であった宇宙兵器は計画外とされ、ミサイルは運動エネルギー兵器(KEW)で迎撃することになった。

クリントン政権による終了

1993年、ビル・クリントン政権はTMD(戦域ミサイル防衛)を優先する方針を表明し、NMD(国家ミサイル防衛)は研究段階にとどめられた。戦略防衛構想は事実上終了し、国防長官直属の「SDI機構」(SDIO)は「弾道ミサイル防衛機構」(BMDO)に変更された。その後、BMDOは「ミサイル防衛局」(MDA)に改編された。

早期警戒システム

アメリカは早期警戒衛星システムによりICBMやSLBMの発射を発見し、アラスカに設置されたBMEWS(ベミユース)や北緯70度線に沿ったDEWLINE(デューライン)などの早期警戒システムを利用してミサイルの早期発見を図っている。レーガン政権はソ連が弾道ミサイル防衛(BMD)システムの研究開発で優位に立っていると認識し、1983年にSDIを発表した。

日本の参加

1986年9月9日、日本政府は戦略防衛構想の研究への参加方針を通告し、当時の外相倉成正が当時の米国防長官キャスパー・ワインバーガーと国務次官マイケル・アマコストに書簡を手渡した。

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