ゴルバチョフ|ソ連を資本主義に,ペレストロイカ

ゴルバチョフ Mikhail Sergeevich Gorbachëv

ウラジーミル・ゴルバチョフはソ連の政治家である。1985年、共産党書記長に就任して以来、ペレストロイカという経済改革やグラスノスチという情報公開を基本政策として、ソ連の改革を行った。米ソ対立の冷戦時代にあって、アメリカとの親和政策を行い、核兵器を含めた軍縮に取り組み、緊張緩和を推進した。1990年にはノーベル平和賞を受賞した。

ゴルバチョフ

ゴルバチョフ

生誕

1931年、ゴルバチョフはロシア南部のスタブロポリという町の集団農場の農民の子として生まれた。地元の共産主義青年同盟で頭角を現わし、モスクワ国立大学に入学。学生時代にはスターリンが死亡した。大学卒業後は地元に戻って共産党内部で出世していく。

共産党書記長

1985年3月、ゴルバチョフは共産党書記長に選出された。当時54歳であったが、ソ連としては異例に若い指導者で、国民人気も高く、社会的経済的停滞で苦しんでいたソ連の改革を行った。

ゴルバチョフの三大政策

◆ペレストロイカ(立て直し)
◆グラスノスチ(情報公開)
◆「新思考外交」(冷戦の終結)

ペレストロイカ

ペレストロイカとは、ロシア語で「立て直し」を意味し、ゴルバチョフは、停滞するソ連の経済を改革するために、国営企業下での均一賃金の是正を行った。国営企業の経済の中に、小規模の民間企業を認め、労働者の働きや売上げに応じて報酬を支払う制度ができた。

グラスノスチ

グラスノスチとは、ロシア語で「情報公開」という意味で、情報公開を進めた。ゴルバチョフは、当時のソ連には報道の自由がなく、ソ連の現状が行きづまっているかを国民が認識していない状況を危惧し、情報公開を進めることで、国民に問題点を知らせ、ペレストロイカを進めようと考えた。

新思考外交

新思考外交は、ゴルバチョフがすすめた対外改革で、冷戦の終焉を目指した。ゴルバチョフは、冷戦による米ソ両国の拡大政策をソ連成長の弊害と考え、対米協調路線をとり、核軍縮を進め、海外への軍事援助・介入を縮小、停止し、軍備拡大競争の中止を打ち出した。ゴルバチョフは、経済的負担を限りなく軽くし、西側諸国からの経済援助を獲得しようとした。

ゴルバチョフ

ゴルバチョフ

囲い込み政策の中止

ゴルバチョフは、アメリカと対立してソ連の援助を受けてきたキューバへの援助削減、アフガニスタンからの軍隊撤退、ベトナムに対するカンボジア侵攻の中止説得などを行い、米ソが主導した軍事経済援助による囲い込み政策を取りやめた。(参考:キューバ危機

人民代議員大会

ゴルバチョフは、民主主義を実現するため、国会にあたる「人民代議員大会」の代議員選挙(国会議員選挙)の改革を行い、対立候補が立てられるようになった。従来の選挙では、共産党が候補者を指名し、国民は、この候補を支持するかどうかの投票しかできなかった。

ウォッカショック

抜けばのない貧困生活を生き、言論統制が行われた国民はウォッカを飲み気を紛らわせていた。労働者の中には、ウオッカを飲みながら働く者も多く、職場での事故多発につながっていました。ゴルバチョフは、この悪弊を一掃するため、ウオッカの生産を削減したが、ウォッカを求める国民は、自宅でウオッカの密造した。ウォッカの密造のため、砂糖が必要になり、国民は争って砂糖を買い求め、ソ連国内の商店の店頭から砂糖が姿を消した。また、ウォッカの販売が減ったことで、国にとって貴重な酒税収入も落ち込み、深刻な財政難に陥った。その一方で、国民は密造したウオッカに伴う事故は減らず、職場規律も改善されなかった。国民は、ウオッカを自由に買えなくなったことで、ゴルバチョフへの不満を高めた。

経済自由化の失敗

ゴルバチョフは、経済を活性化させるために、企業に主体性を与えた。企業経営者は自分を含めた労働者の給料を引き上げたが、収入が増えた労働者は商品の買い占めしはじめ、商店から商品がなくなるという事態がおこる。資本主義社会では、需要が高まると、それにともなって商品の値段が上がるが、当時のソ連の社会主義体制下では価格統制が続き、商品の値段は低く抑えられ、労働者により安い商品の買い占めを許した。

共産党批判

ゴルバチョフが進めたグラスノスチは、次々とソ連の問題点が明らかにされた。いかにソ連が腐敗し、遅れた国かを知ったソ連の国民は、ソ連共産党への批判に結びついた。

8月クーデター

ソ連国民の不満を知ったソ連共産党の保守派は、ゴルバチョフの改革に危機感を抱き、クーデターを謀った。1991年8月19日、ゴルバチョフが夏休み中に黒海近くのクリミアの保養所に滞在している間、ソ連政府の高官8人が、「国家非常事態委員会」を設置した。8人は記者会見して、「ゴルバチョフは病気のため、ヤナーエフ副大統領が政権を引き継いだ」と発表。8人は、ヤナーエフ副大統領、パブロフ首相、クリュチコフKGB議長、ヤゾフ国防相など、ゴルバチョフ大統領によって引き上げられ、大統領を支えてきた幹部で、ゴルバチョフは裏切られた形となった。

郵便、新聞は相変わらず来ない。その代わり、『ソニー』が一生懸命働き続けてくれる(8月20日 ライサ夫人)

エリツィン

ゴルバチョフの改革の中で、ソ連共産党を厳しく批判したことで人気を得たエリツィンは、クーデターに反対を表した。加えて軍もクーデターを反対し、クーデターは、失敗、クーデターを起こした8人のうち、1人が自殺し、残り7人は逮捕された。

ゴルバチョフの失脚

軟禁されていたゴルバチョフは、エリツィンの指示で派遣されたロシア共和国の副大統領一行によって救出され、モスクワに戻った。しかし、一連の出来事で、すでにゴルバチョフとエリツィンの立場は逆転し、エリツィンに救出されたゴルバチョフは、エリツィンの「超法規的行動」に抵抗することもできず、ソ連共産党書記長を辞任、党中央委員会も解散させ、ここに1800万人のソ連共産党が消滅した。

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