律令国家による税制度|租,調,庸,雑徭

律令国家による税制度

律令国家の財政は、同時期に作られた戸籍に基づいて、公民の負担する租・肩・調・雑徭などの課税で賄わせた。口分田に課された租は正税と呼ばれたが、比較的軽く、調・庸などの現物を納めた人頭税や雑徭(ぞうよう)・運脚(うんきょく)・兵役・仕丁などの労役負担が重かった。

目次

租は、かって農業共同体において行われていた初穂儀礼を起源とする。性別、身分、良、賤に関わらず、輸租田を耕作する者に耕作面積に応じて一律に賦課される。口分田をはじめとする田地にかけられる。田1段につき稲2束2把(のち1束5把)の割合で、収穫の3%程度であった。租は大部分が国衙に納められ、地方財政にあてられたが、一部は都にも送られた。

調

調は、地方の服属儀礼としてのミソギを起源とするもので、成年男子の正丁・次丁長疾と老丁。正丁の2分の1の賦課額・中男(17歳から20歳までの良民男子。正丁の4分の1の賦課額)に賦課された人頭税であった。繊維製品をはじめ、染料や塩・紙・食料品など、それぞれの国の特産物が徴収され、納税者のうちから運脚の人夫が選ばれて、まで運ばれた。

庸は、正丁に10日、次丁に5日、都にのぼって政府の命じる労役(歳役)の代納物として布・綿・米・塩などを納めるもので、運脚によって都まで運ばれ中央政府の財政にあてられた。成年男子にのみかかる人頭税で皇族・貴族・女子のほか家人・奴婢も不課口(課税をされない)だった。

不課口

庸・調は皇族・貴族・女子のほか家人・奴婢も不課口だった。庸・調を徴収する台帳として毎年計帳がつくられ、正丁(せいてい)(21~60歳の男子)を全額とすると、次丁(老丁(ろうてい)、61~65歳の男子)は調・庸とも正丁の2分の1、中男(少丁、17~20歳の男子)は調が正丁の4分の1の割合で課税された。家人・奴婢が不課口だったことは、多くの家人・奴婢をかかえる貴族・寺社にきわめて有利な税制だったことを意味する。

贄(にえ)は、律令には規定はないが、藤原宮跡及び平城宮跡から出土した木簡に数多くみられる。多くは魚介類・海藻などの食品である。贄は、かつての共同体内での首長への食物貢納儀礼を起源とする。

雑徭

雑徭(ぞうよう)は、正丁1人について1年で60日以内(次丁は2分の1、中男は4分の1)、国司のもとで、国内の土木事業や、国・郡の役所の雑用などに使役するものであった。

公出挙

公出挙(くすいこ)は、はじめ貧民救済のために、春に正税の稲(本稲)を種籾として貸し付けて秋に返納させるものであったが、のちに、国司が利殖をはかるために、強制的に貸し付けて5割の利子(利稲)をとるようになる。国衙にとって重要な財源であった。

義倉

義倉は、備荒貯蓄として、有位者以下、百姓・品部・雑戸にいたるまで、一定量の粟を納めさせるものであった。

仕丁

仕丁は、50戸に2人の割で、中央官司の雑役に服する。

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