岡田以蔵|土佐藩,人斬り以蔵,武市半平太

岡田以蔵

岡田以蔵(おかだいぞう)は、土佐藩の剣術家。幕末の四人切りのうちの一人。武市半平太を師事して剣術を学び、後に「人斬り以蔵」と言われる。天保9年(1838)に生まれる。土佐の足軽の出身で貧困の家庭であった。正統派の剣は習つておらず、子どものころから木剣とか六尺棒を振り回していた。

岡田以蔵

岡田以蔵

目次

武市半平太の道場に入門する。

安政元年(1854)、武市半平太の道場に入門する。岡田以蔵と武市半平太では身分が遠く、もともと岡田以蔵の家は武市半平太の家の家来であった。主人と家臣の家柄であった。武市半平太の妻、富子が野良犬のような岡田以蔵を哀れみ、入門を許可した。

門下生との太刀合い

岡田以蔵は正当な剣術を習うことがなかった。武市半平太の道場に入門してすぐ道場の門弟たちと太刀合うが、武市半平太を除いて、岡田以蔵の太刀筋に対応できる剣術家がいなかった。武市半平太に自得(独学)で剣術を学んだと述べた。武市半平太に連れられて、江戸に剣術修行に行くことになる。

桃井春蔵の士学館の鏡新明智流

武市半平太が岡田以蔵を修行に連れて行き、以蔵は桃井春蔵(ももいしゅんぞう)の士学館(しがくかん)の鏡新明智流(きょうしんめいちりゅう)で修行に励む。剣筋は変わらず乱暴なもので、桃井春蔵の評価は剣の筋が卑しく品格はない、というものだった。

岡田以蔵

岡田以蔵

天誅

武市半平太がこいつは気に食わない、というとそれをメモして、後に天誅と称して京都で暗殺を行った。

八月十八日の政変

八月十八日の政変の後、捕縛され、過酷な拷問ののち斬首された。

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