安政の改革|阿部正弘による国防のための軍事力の強化

安政の改革

安政の改革とは、1854-57年に行われた、老中阿部正弘による江戸幕府・国防のための軍事力の強化を目的とした改革である。水戸藩前藩主の徳川斉昭を海防参与にし、川路聖膜、筒井政憲、岩瀬忠震、江川英竜(太郎左衛門)、高島秋帆(四郎太夫)、勝海舟らを登用し、1635年の武家諸法度により禁止されていた大船建造の禁を解くなどの改革を行った。

目次

人材の登用

徳川斉昭を海防参与にし、川路聖謨、筒井政憲、岩瀬忠震、江川英竜(太郎左衛門)、高島秋帆(四郎太夫)などの第一線で活躍していた優秀な人材を登用した。

海軍伝習所(長崎)

1855年、幕府はオランダから軍艦を贈られたのを機会に長崎に海軍伝習所を設け、オランダ海軍士官から直接海軍技術を学ばせた。伝習生には勝海舟、榎本武揚らの幕臣や薩摩藩の五代友厚などがいた。

観光丸

1855年、オランダ国王ウィレム三世から観光丸(スンビン号)が幕府に送られた。海軍伝習所では観光丸を使って軍事演習が行われた。

講武場(講武所)

1854年、江戸幕府は築地に講武場(1856年に講武所と改称)を設置し、旗本や御家人に武芸の鍛錬、西洋砲術を行った。軍の近代化の役割を担った。

長崎製鉄所・横須賀製鉄所

1857年から、軍艦の修理を目的として、オランダ製の機械を購入し、長崎製鉄所を完成、次にフランスの指導のもとに横須賀製鉄所を建設した。

洋式軍隊の創設

フランスの援助により、洋式軍隊も創設されました。

蕃書調所(洋学所)

1856年2月、洋書や外交文書翻訳をするため、幕府天文方から独立し、九段に設立されていた洋学所が、蕃書調所と改称した。新しく出版される洋書・翻訳書は、すべて蕃書調所の検閲を義務づけられた。後に洋書調所、開成所と名前を変えていく。西周・津田真道が教官を務めた。

台場の建造(江戸湾)

1853-54年、江戸湾防備を目的とした台場を築こうとしたが、財政難のため、全国の豪商や江戸の庶民から寄付を募って建設を行う。第四台場は資金不足のために途中で中止となった。

反射炉の建造(伊豆韮山)

1853-54年、反射炉を建造(伊豆韮山)する。台場建設が中止となっているあいだ、幕府は伊豆代官の江川英竜に命じ、伊豆韮山に反射炉を築き、大砲の製造等を行った。反射炉は、鉱炉の一種で、炉内で火災を反射させて鉱山を熱して溶解させる、1850年、佐賀藩がオランダから学んで建造したのが日本で最初である。

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