墨子|非攻と兼愛の思想家,人を愛すれば、必ず人からも愛される

墨子

墨子(B.C.470~B.C.390)は、春秋・戦国時代に活躍した思想家。墨家の創始者。魯の国で生まれ、技術に巧みであったところから、手工業者の階層の出身と考えられている。一説によれば、墨とは古代の王侯に隷属した技能集団であり、墨子はその統率者であったと言われている。生没年は不詳だが、『墨子』の中で、耕柱・貴義・公孟・魯問の四篇が収められており、墨子の言行や墨家の成り立ちを知ることができる。墨子の思想は大国による侵略と併合によって周の封建体制が破壊される事態を阻止して天下の諸国家が相互に領土を保全し合いながら、安寧に共存する体制を再建しようとするところにその目的があった。そのため、墨子の思想は、自他の区別なく人々が平等に愛し合う兼愛、戦争を否定する非戦を説く。

目次

墨子の略年

前470頃 魯の国で生まれる。
前444 墨子が説得し、楚の宋の進行を中止させる
前439 楚王に平和論の書物を献じる。
前415 子思らとともに魯に仕えていたが斉に去る。
前390? 死去。

十論

墨子の考えとして、大きく十論が挙げられる。(墨子の死後に増えたなど、諸説あり。)墨子はこの十論を「相手の国情において使い分けよ。」とし、十論の最終目的がいずれも諸国家の安定化のために用いられた。

十論
尚賢・・・能力主義
尚同・・・各段階の統治者に従え
兼愛・・・自己と他者を等しく愛さなければならない。
非行・・・侵略戦争の否定
節用・・・節約
節葬・・・節約
天志・・・天帝や鬼神に従え
明鬼・・・天帝や鬼神に従え
非楽・・・音楽への耽溺を戒める
非命・・・宿命を否定する

兼愛

兼愛とは、自他を区別なく、また身分や血綠にかかわらず、平等にすべてのひとを愛さなければならないという教え。非常に人間愛的な考え方で、肉親を重視する儒教の教えは別愛(差別的な愛)だと批判した。兼愛が他者を愛すれば相手もまた自分を愛し、お互いの利益になるという交利のもと実現し、博愛平等の社会(兼愛交利説)が生まれると説いた。兼愛によって諸国を安定し、諸国の対立を防ぐ役割を果たすことができる。

若し天下をして兼ねて相愛さしめば、国と国と相攻めず、家と家と相乱さず、盗賊あることなく、君臣父子みな能く孝慈ならん。此くの若くならば則ち天下治まる。故に聖人は天下を治むるを以て事と為す者なり。想んぞ悪むを禁じて愛を勧めざるを得ん。

世界中の人々が広く互いに愛し合えば、国同士、家同士の争いごとはなく、どろぼうや傷害もなくなり、君臣父子すべてがつつしみ従う。こうであれば世界は平和に治まるので、聖人は憎しみを禁止し愛すること。

人を愛すれば、必ず人からも愛され、人を憎めば、必ず人からも憎まれる。

非攻

墨子は、強国の侵略行為を否定する非戦論、非攻を説いた。戦争は全体から見れば大き な損失であるとして、侵略行為を正義に反するものとして否定する。
ひとを一人殺せば不義であり、死刑になるのに他国を侵略して多くの人を殺せば誉れとするのは矛盾である。君主が戦争で領土を拡大することは、他国の領土が奪われることであり、略奪や破壊を生む戦争は全体からみれば、大きな損害と浪費でしかない。従い、各国は非戦に務め、優れた防御技術を備えた部隊を組織して攻撃を受けた小国の防御に務めなければならないと説いた。

一人を殺さばこれを不義と謂う。必ず一の死罪あり。若し此の説を以て往かば、十人を殺さば不義を十重す。必ず十の死罪あり。百人を殺さば不義を百重す。必ず百の死罪あり。
此くの当きは天下の君子みな知りてこれを非とし、これを不義と謂う。
今、大いに不義を為して国を攻むるに至りては、則ち非とするを知らず、従いてこれを誉めてこれを義と謂う。
情に其の不義を知らざるなり。

一人の人間を殺害すると、一つの死刑の罪があてられる。
この道理をすすめてゆけば、十人を殺害すると十の死刑の罪があり、百人を殺害すると百の死刑の罪が適用される。
こうした事件は,世界中の知識人は誰でもそれを非難し、良くないことだという。
ところが、他国を攻撃するという大きな不正義については、それを非難せず,誉めたたえて正義であるといっている。他国を攻撃するのが不正義であるということを、本当に知らないのである。

尚賢

尚賢とは、賢者を尚ぶという意味で、墨子は、身分・縁故-財産にかかわらず、能力や人格のすぐれた者を政治の役職に採用するべきだと説いた。庶民階級の出身であった墨子は、政治の要職を貴族が占める世襲的な身分制を批判し、戦乱のつづく社会を救うため、有能な者を広く求める能力主義の人材登用をとなえた。

十論をもちいた諸国の安定

弟子「各国の君主に面会したならば、まずなにをとけばいいのか。」
墨子「その国家が混乱していれば、尚賢・尚同を、国家が経済的に貧窮していれば、節用、節葬を、国家が音楽にふけって怠惰であれば非楽、非命を、国家がでたらめで無礼なら天志、明鬼を、国家が侵略戦争に熱心であれば兼愛、非攻を説きなさい。」

墨家

墨子は自己の理念を実現すべく、魯に墨家という学だんを創設した。多数の門下生を教育して、一人前の墨者に仕立て上げ、官僚として諸国に送り、自己の思想を世界中に広めようとした。墨家は各地で布教する布教グループ、学団内で教本の整備や教育を担当する読書グループ、食料生産や雑役、守城兵器の製作、防御戦闘に携わる勤労グループの三つに別れており、非常に大きな組織として動いていたと思われる

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