地方官制|畿内七道,左・右京職,摂津職,太宰府

地方官制

地方官制は古代日本の律令制度に基づく、統治機構である。中央に属する神祇官や太政官に代表される中央官制に対して、地方を統治する組織として地方官制が設けられた。地方は畿内七道に大別され、それぞれにいくつかの国が所属した。国はさらにいくつかの郡(評)、郡はさらに50戸を単位としていくつかの里(のちに郷に改称)に分かれた。いわゆる国-郡-里の三階分け、それぞれ国司・郡司・里長が置かれた。中央政府一国司を介して、郡司一里長一戸主というルートで、律令国家は一般農民をも把握し、国内が中央集権による統治が実現する。

目次

畿内七道

五畿七道は大和国・山城国・摂津国・河内国・和泉国の5国を畿内といい、その他の地方を東海道・東山道・北陸道・山陰道・山陽道・南海道・西海道の諸道に分けた。これは行政区画というより交通路によって分けた地方区画だが、畿内は軍事的な必要もあって、調の半分、膚の全額を免除される特権が与えられた。

  • 畿内:大和国、山背国、河内国、摂津国(のちに和泉国が河内国から分離)
  • 七道:東海道、東山道、北陸道、山陰道、山陽道、南海道、西海道

国は全国で60余りあり、国府に国衙(国の役所)を置き、国司は中央から6年(のちに4年)の任期で派遣された。

郡司は、国の下に置かれ、かっての国造など地方豪族が任命され、終身官でしかも世襲された。郡司は官位相当制が適用されなかったこと、終身官であったことなど、他の律令官人と非常に異なり、ある程度かっての勢力を維持できる仕組みになっていたが、その権限はすべて国司を通してしか行使することができなかった。

里長は農民の中から選ばれた。里の下には5戸で構成される五保の制があり、納税や防犯などの連帯責任を負った。戸は郷戸として戸主を通じて支配された。戸には郷戸(ごうこ)と房戸(ぼうこ)の別があった。房戸が実際の家族に近く、郷戸は戸主の直系、傍系親族の戸によって構成され、郷里制の単位となったもので、租庸調の徴収・口分田の班給などは、郷戸の戸主を通じて行われた。

京の左・右京職

特定の地域として京には左・右京職を置いた。

難波の摂津職

難波には外交的な要所として摂津職が置かれた。

九州の太宰府

九州には防衛の最重要要地として太宰府が置かれた。筑前に置かれ、西海道(九州)諸国を統轄するだけでなく、外交・国防の要地として、外国使節を接待するための鴻朧館、対外防備にあたる防人を統率する防人司が置かれた。


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