古代エジプト|ナイル川で栄えた古代の文明と人々の生活

古代エジプト

古代エジプトは、ローマによって征服されるまでのエジプトのことで、諸説が有るもの、紀元前3150年ごろからエジプトに存在したとされる。ファラオ(パロ)と呼ばれる王を持ち、世界最古で最長の王制を維持していた。以後、ヒクソスやペルシアの占領といった事態を挟みつつも、ほぼ3000年の間、諸王朝が交代しつつ統一を維持した。最後の王朝となったプトレマイオス朝(ギリシア系)が滅ぼされ、ローマの皇帝直轄地とされ、古代エジプトの時代は終わることになる。

ピラミッド
ピラミッド

目次

エジプトの地理的条件

オリエント(西アジア)
オリエント(西アジア)

古代エジプトは、北アフリカの東端(エジプト)に位置し、ヴィクトリア湖に発し、北東アフリカの砂漠地帯を北流するナイル川流域を中心とした地域で繁栄した。古代ギリシアの歴史家ヘロドロスが「エジプトはナイルのたまもの」と述べた通り、ナイル川の氾濫によって形成された肥沃な土壌の上に、メソポタミア文明と並ぶ世界最古の灌漑農耕文明が生まれた。

  • 上エジプト:ナイル川中流域の河谷地
  • 下エジプト:ナイル川下流域のデルタ地帯。

古代エジプト人

古代エジプト人
古代エジプト人

古代エジプト人は、エジプト語系民族で、ナイル川流域に、最古の農耕文明の一つである古代エジプトを建設した。かれらは、ノモス(nomos)という行政単位を持ち、もとは部族的独立集落を示す言葉であった。灌漑農耕の進展に伴い、上エジプトに22、下エジプトに20のノモスが成立したと考えられている。

ファラオ

ファラオ
ファラオ

ファラオとは、「大きな家」の意味で、古代エジプトの王の称号である。多神教の中心である太陽神ラーの子とされ、神権的専制君主であった。

古王国

古王国とは、前27~前22世紀に古代エジプトに繁栄した。第3ー6王朝。デルタ地方南端に位置するメンフェスを首都とし、第1王朝初代の王メネスが建設したとされている。最盛期は第3ー4王朝で、強大な王権の象徴として、ピラミッドがさかんに建設された。

クフ王

クフ王は、前27世紀頃の第4王朝の王である。ギザに最大のピラミッドを建設した。

ギザ

ピラミッド
ピラミッド

ギザは、現在のカイロの対岸の都市である。クラ・カフラー・メンカウラー3王のピラミッドやスフィンクスが残されている。

中王国

中王国は、前21~前18世紀。第11~12王朝。エジプトを再統一し、官僚制度を整えて中央集権化を進めたが、王権が衰えて滅亡した。都をテーベ(現在のルクソール)と呼ばれるナイル川中流域の都市においた。中王国では、ほぼ政治の中心地であった。

新王国

新王国(前1567~前1085)は、第18~20王朝であり、ヒクソスを追放して成立し、都はおもにテーベにおかれた。第18・19王朝が最盛期で、シリア・パレスチナでヒッタイト・ミタンニ・カッシートなどと争った。

ヒクソス

ヒクソスは、アジア系の遊牧民である。中王国滅亡後に馬と戦車をもってシリア方面から侵入してデルタ地帯を支配し、第15・16王朝を建てた。前16世紀半ばに衰え、エジプトを追放された。

末期王朝

末期王朝は第21~第31王朝でアッシリアペルシアなど外国勢力に支配され、振るわなかった。

太陽暦

古代エジプトは、太陽年を基準とした暦である。古代エジプト人は、ナイル川の氾濫はと恒星シリウスの位置関係から1年を365日とした。

エジプト文字

エジプト文字
エジプト文字

古代エジプト人が使用した文字をエジプト文字という。神聖文字・神官文字・民用文字の総称である。

  • 神聖文字(ヒエログリフ):絵文字から発達した最初のエジプト文字。象形文字で、ギリシア人が神聖文字と呼んだ。神殿・墓などに刻まれた。
  • 神官文字(ヒエラティック):神聖文字を簡略化した書体で宗教書・公文書・文学作品に用いられた。
  • 民用文字(デモティック):もっとも簡略化された書体。

ロゼッタ=ストーン

ロゼッタストーン
ロゼッタストーン

ロゼッタ=ストーン(Rosettastone)は、ナポレオンのエジプト遠征の際、1799年に発見された石碑である。プトレマイオス5世をたたえた前196年の碑文で、上から順に神聖文字・民用文字・ギリシア文字の3書体で刻まれている。1822年にフランスのエジプト学者シャンポリオン(1790~1832)は神聖文字が解明されたのをきっかけに民用文字の解明も成功した。

パピルス

パピルス(聖書
パピルス(聖書

パピルス(papyrus)は、古代エジプトの時代に用居られた一種の紙である。主にナイル川流域の湿地帯に繁茂した大型のカヤツリ草の一種で、茎を縦に裂いて開いたものを数枚ずつ直角にはり合わせ、圧縮、乾燥させ、一種の紙として使用した。英語のpaperの語源。

測地術

古代エジプトでは、測地術がナイル川氾濫後の土地復元のために発達した。幾何学の起源とされる。

一般庶民

従来では虐げられたイメージがあるが、当時としては非常にバランスのいい生活を送っていた。主食として、小麦パン、やぎや羊、ワインやビールを食した。短命だと考えられているが、50歳の女性の遺体も残っている。洋服は麻でおられていた。化粧をしており、アイシャドーの瓶も残されている。王族だけでなく、庶民のミイラが残されており、今もなお研究が続けられている。(参考:ケンヘルケプシェフ

医療器具

当時最新の医療情報を積極的に公開し、すべてのエジプトの民衆に知られていた。そのため、知識は共有され、そのレベルは高かかった。

ストライキ

紀元前1156年、ファラオ(ラムセス3世)が外国との戦争により混乱したため、毎年支払われるはずの給料が未払いになり、それをきっかけに史上初のストライキが行われていた。仕事を休み、政府の出先機関で座り込み、給料を与えるよう訴えた。その数日後、給料が支払われることとなる。このことから当時、古代エジプトでは、ファラオと国民の間に良好な関係があったと推測される。


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