信仰義認説 | ルター

信仰義認説

信仰義認説とは、ルターが提唱した、人間は救い主である神への信仰によってのみ義とされるとする説。プロテスタンティズムの根本思想となり伝統や形式を重んじるカトリック教会に対しての批判が込められてる。神の義(正しい)とは、聖書に示された神の意志であり、それにかなうことによって人は義(正しい)とされる。ルターは、パウロの『ローマ人への手紙』をもとに完全な善行を行い得ない人間は、神の恩寵(恵み)によってのみ“義”とされる。十字架上で人間の罪を贈ったイエス・キリストへの信仰によってのみ、人間は罪から解放されて神の前に義とされるとする。キリスト者は、神の救いを感謝をもって受け入れ、神の恵みへの信仰によってのみ、ただしき人として生きることができる。

信仰義認説

信仰義認説

義認

義認とは、もとは法律用語で法廷で被告に無罪判決を下すことであつたが、これが宗教用語に転用されて、神によって義(正しい)と認められることを意味するようになった。

信仰のみ、聖書のみ、恩寵のみ

これはルターの信仰義認説をあらわす標語。パウロの『ローマ人への手紙』に由来している。完全な善行を行うことができない人間の救いは、十字架上で人類の罪を償ったイエス・キリストへの信仰によってのみ、神から恵みとして与えられる。ルター宗教改革の原理は、「聖書のみ」「恩寵(恵み)のみ」「信仰のみ」の三つの標語であらわされる。この理念に基づき、当時、ラテン語で書かれていた聖書を、庶民が読めるドイツ語に翻訳し、また印刷技術の発展も手伝い、誰しもが聖書を読めるようにした。

きみはまたここで、信仰がすべての掟を満たし、ほかのすべての行いなくして人を義とすることが、どんな理由で当然だと認められるのかを、知るだろう。なぜなら、きみはここで、信仰のみが「ただ一人の神を崇めなさい」と命ずる第一の戒めを満たすことを知るからである。たとえきみがかかとに至るまでまったく善行のみであったとしても、それでも義とされるのでなく、…しかし、これをするのはいかなる善行でもなく、ただ心の中の信仰のみである。したがって、信仰だけが人間の義であり、あらゆる掟の実現である。(『キリスト者の自由』ルター)