仏典結集
仏典結集は、シャカの死後、シャカの弟子たちによって行われた教説の収集・編墓事業えおいい、4度の結集が行われた。シャカの没後、シャカが生前に語った法語が失われるのを防ぎ、また異説の生じないように、弟子たちが集まって各自の記憶するところを述べ、異同を正し集成する事業を行った。
結集
結集とは、サンギーティの漢訳で、唱和するという意味。何百人から1000人を超える僧が一堂に会してブッダの教えと戒律を確認し、声を合わせて唱和した。
第1回仏典結集
前5世紀前半、仏滅直後で、ブッダの弟子であったマハーカーシャパが、教義を経典として残すため、仏典結集として決めた。そこでマガダ国の首都ラージャグリハ付近の洞穴に500人の阿羅漢(高い境地に達した弟子)が集まってそれまで経典がなかった教団において初めての編集会議であった。
第2回仏典結集
前4世紀、仏滅後約100年経過したころ、マガダ国のヴァイシャリーで700人の比丘が集まり戒律の問題について討議した。これまでの律に不満を持ったヴァッジプッタカが現実の生活に基づいた十事を提案したが、ヤシャスという僧は十事を批判し、第二回の仏典結集が始まった。しかし結局は分裂することになる。
十事
- 布施された塩を蓄える
- 規定の時を超えて食事をする
- 他村で採択鉢して食事をとる
- 別々に布薩(反省の集会)を営む
- 議事を集まった者で決め、事後承諾を求める
- 釈尊の慣例に弟子も従う
- 午後に薄めた牛乳を飲む
- 病気の際は発泡酒を飲む
- 縁のない自由な座具を使う
- 金銀を受けて蓄える
第3回仏典結集
前3世紀、仏教に精通していたアショーカ王が部派の分裂を憂い、モッガリプッタに開催を求めたが、このとき集まったのは上座部の僧が1000人で大衆部は参加した記録はなかった。経と律に関する新しい解釈がなされた。
第4回仏典結集
2世紀、クシャーナ朝のカニシカ王の保護の下にカシューミールで行われた実仏典編集事業。ブッダ入滅から400年後で人数はわかっていない。