五代友厚|薩摩藩,実業家,大阪商科大学,大阪商工会議所

五代友厚

五代友厚は天保6年(1835)~明治18年(1885)、薩摩藩士で明治維新の実業家であった。天保6年(1835)、薩摩国鹿児島郡にて儒官である父の五代直左衛門の次男として生まれる。実業家として特に関西地方の商工業発展に貢献した。

目次

長崎での航海術の習得

安政元年(1854)、薩摩藩の郡方書役となる。安政4年(1857)、薩摩藩から選抜されて長崎遊学に旅立つ。長崎ではオランダ人から航海術を学んだ。安政6年(1858)、再び長崎に赴いた。航海術の習得に努力していたが、幕府が長崎へ派遣した千歳丸に乗船し、上海に渡航した。ここで薩摩藩のための汽船購入の契約を行う。文久2年(1862)、長崎で御船奉行副役となる。

薩英戦争

文久3年(1863)、イギリス軍艦が来襲した薩英戦争では寺島宗則と共に捕虜となり、一時イギリス側に捕らえられている。

欧州への留学

慶応元年(1865)、薩摩藩からの留学生を率いてヨーロッパ各国を巡り、先進的な制度や文物を学んだ。さらに、薩摩藩の富国強兵のために小銃や汽船、紡績機械などを購入して帰国した。

実業家への転身

慶応4年(明治元年、1868)、新政府の参与・外国事務掛を命ぜられた。その後、外国事務局判事・外国官権判事に任命されて外交分野について力を尽くした。
日本の商工業の振興をはかるために自ら政府の官職を辞め、大阪を拠点に実業家に転じた。鉱山経営や藍の製造販売を行い、大阪株式取引所の設立に尽力するなど精力的に活動を展開した。

大阪商法会議所の設立

明治11年(1878)、大阪商工会議所の前身である「大阪商法会議所」の設立を実現させた。また、五代友厚は商業教育の発展も急務であるとして、明治13年(1880)に大阪商科大学の前身である「大阪商業講習所」の設立にも尽力した。その他にも、銅の加工事業や交通業の発達にも貢献した。

死去

明治18年(1885)9月25日、病のため東京で亡くなった。