乙巳の変|中大兄皇子・中臣鎌足による蘇我滅亡の政変,大化改新へ

乙巳の変

645年6月12日、反蘇我派である中大兄皇子と中臣鎌足による、蘇我本宗である蘇我入鹿蘇我蝦夷が滅ぼされた。皇極天皇の突然の召集をうけて飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に入った大臣・蘇我入鹿(おおかみそがのいるか)が反蘇我派によって殺害された。この政変で反蘇我派の政治的主導権が決定した。後に大化の改新という政治改革が行われる。

目次

蘇我入鹿の死

645年6月12日、反蘇我派によるクーデターがおこり、皇極天皇の突然の召集をうけて飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)に入った大臣・蘇我入鹿(おおかみそがのいるか)が、宮中大殿で襲われ即死した。古人大兄皇子も同行したが、両者が宮中に参内したのは、唐・高句麗戦争への対応策について天皇からの諮問に応じるためであった。当時は雨で宮中大殿に入る大門前の庭にはぬかるみができていたが、蘇我入鹿の死体はその中に無造作に投げ出された。

古人大兄皇子の出家

蘇我入鹿とともに招かれていた有力な皇位継承候補の古人大兄皇子(ふるひとのおおえ)は無事に逃れ、大市宮に無事生還した。その後、クーデター側の人間の勝利を決定すると、出家することを決意する。

反蘇我派の中心人物

  • 中大兄皇子(なかのおおえ)皇極天皇の同母弟軽皇子皇極の長子、天智天皇
  • 蘇我倉山田石川麻呂:蘇我入鹿の従兄弟
  • 中臣鎌足

反蘇我派の対応

蘇我入鹿を殺害した反蘇我派は、板蓋宮の北にある飛鳥寺に入り、ここを本陣とした。殺害後の正午には、飛鳥寺に反蘇我派の王族・豪族が集まる。

蘇我の自決

一方、飛鳥川をはさんだ西の甘樫(あまかし)岡には蘇我氏と関係の深い東漢氏(やまとのあやうじ)の武装兵が結集して緊張が高まった。しかし、中大兄の使者にたった巨勢臣徳太の説得で東漢氏は武装を解除し、古人大兄も飛鳥寺に現れ、ただちに出家、これを知った蘇我蝦夷以下の蘇我氏は、13日、甘樫岡の邸宅に火を放ち自決した。

孝徳天皇

14日、反蘇我派の切札である軽皇子が皇極天皇の譲位を受けて即位する(孝徳天皇)。以後、孝徳天皇を中核とする軍事政権が、のちに大化の改新とよばれる政治改革に着手する。