ローマ帝国の崩壊の要因

ローマ帝国の崩壊の要因

ローマ帝国は、その巨大な領土のため内部崩壊していき、国力を衰退させていく。奴隷を使った大規模農業から自由小作人をつかったコロヌス制、貨幣経済の崩壊、地方分権から属州の独立、傭兵による軍事支配など統治力は減退していく。やがてローマ帝国は東ローマ帝国と西ローマ帝国に分かれたが、その後、ゲルマン民族の大移動がおこったことがきっかけに西ローマ帝国は消滅した。

農業経済の変容

ローマ帝国の末期、ラティフンディア(奴隷を使った大規模農園)からコロヌス制(小作人・自由人)への変化がおこる。これは、属州の経済発展によって、自由農民が没落し、また奴隷の経済的地位が向上して、隷属的小作人となった。コンスタンティヌスの時代にはいると、かっての自由農民としての小作人(コロヌス)はその移動を禁止され、土地に縛りつけられた小作人となった。

貨幣経済から現物経済

貨幣経済は、ローマ領内に広く普及されていたが、政府によって貨幣改悪が続くと、破綻と衰退が進んだ。その結果、租税徴収や軍隊給与さえ現物で行われるようになり、自然経済への回帰が見られた。

属州遠心主義

ローマ帝国の末期は、個々の属州の経済活動が発達して、そちらへ重心が移行していった。このことを属州遠心主義という。属州遠心主義にともない、地方分権が進み、地方の有力者は実質的にローマ帝国から独立して、広大な土地・人民を私有していた。

傭兵

ローマ帝国の末期、人口の減少が続き、かってローマ帝国の地中海発展の支柱であった重装歩兵市民団は、崩壊していく。地方分権が進んだローマ帝国は、属州軍隊の分裂を生む。さらにローマ帝国直属の軍隊も実質は皇帝に属する私的な傭兵軍隊(ローマ人やゲルマン人)でしかなく、軍事力の低下や軍事支配が無効化していく。

ゲルマン民族

ゲルマン民族は、大移動以前から傭兵やコロヌスとしてローマ社会に多数入り込み、なかにはローマ帝国の高官になるものもあり、ローマ帝国は内部からゲルマン支配が進んでいた。