ローマ帝国の奴隷制|悲しい境遇を強いられる奴隷

ローマ帝国の奴隷制

ローマ帝国は奴隷制度を有した。当初、ローマ帝国は限定された都市国家であったが、領土拡大にともない、奴隷の数も急速に増えていった。地中海沿岸各地でローマ帝国に抵抗して敗れた人々は、何万人という規模で奴隷市場に売り払われることとなる。なお、ローマ帝国の奴隷制は後1世紀までが最盛期で、以後はしだいに衰えていく。

目次

イタリア

イタリア半島では奴隷制の発達が顕著で、ギリシアよりも徹底した奴隷制度で、最低2~3人の奴隷すらもてない市民は軽蔑される風潮さえあった。奴隷の中にはギリシア出身の教養ある奴隷もおり、彼らは主人の家で家庭教師などをつとめ、人間的な扱いを受けた。

農奴

イタリアやシチリアを中心に大所領における集団農耕奴隷が重宝された。しかし、シチリアでは前135年と前104年の2度にわたって奴隷反乱が起こるなど、一時は全島に広がり、ローマ帝国を揺るがした。

公共

奴隷は警察や消火の任務にもつくこともあった。

剣奴

剣奴は剣闘士ともよばれ、市民の見世物とされ、殺し合いを強いられ、その境遇は悲惨であった。

ストア哲学者

前1世紀にもなるとストア哲学者に見られるように、奴隷への人間的な扱いを主張するようになる。

奴隷の解放

奴隷の解放は特に珍しいことではなかった。主人の下で管理人のような任務をつとめた奴隷は経済的にも豊かになり、自由身分を買いとることができた。ローマ帝国では、解放された奴隷には市民権が与えられ、社会的に成功する者も現れる。