カール・ヤスパース Karl Theodor Jaspers
ヤスパース(1883.2.23 – 1969.2.26)はドイツの神学者、哲学者、精神医学者。主著『世界観の心理学』『哲学』『理性と実存・真理について』『啓示に面しての哲学的信仰』哲学者としては実存主義の立場に立つが、神学の影響が強い。(有神論的実存主義)銀行家の家庭で知的雰囲気の優れた環境で育った。ヤスパースによれば、私たちは至るところで限界状況に囲まれており、それに直面してはじめて自己の有限性を知り、挫折や絶望を超え出る時、自己と世界を支える包括者(超越者)に出会う。人問はその出会いによって真の実存的生き方に出会う。
ヤスパースの略年
1883年 ドイツ北西部オルデンブルクで生まれる。
1901年 ハイゼンベルク大学とミュンヘン大学で法学を学ぶ。
1902年 精神病理学に転向。
1913年 『精神病理字総論』岀版。
1921年 ハイデルベルク大字哲学教授に就任。
1932年 『哲学』全3巻出版。
1935年 『理性と実存』出版。
1937年 ユダヤ人の妻との離婚拒絶によリ免職する。
1948年 スイスに移住。
1969年 バーゼルで死去。
ヤスパースの生涯
ヤスパースは1883年、ドイツ北西部オルデンブクの銀行家の家に生まれた。知的な家庭で教養と自由を尊重する気風のもとで成長した。18歳でハイデルベルクとミュンヘンの大学で法学を学ぶが、翌年医学へ転向し、ベルリン大学、ゲッティンゲン大学、ハイデルベルク大学で精神病理学を研究し、『精神病理学総論』で認められ,1916年ハイデルベルク大学助教授に就任する。その後キルケゴールやニーチェの思想に大きな影響を受け、師と仰ぐマックス=ウェーバーの影響を受け、哲学に転向し、ハイゼンベルク大字の哲学教授に就任する。。1932年には『哲学』3巻を刊行して、みずからの実存主義を確立した。
ヤスパースが哲学研究に傾注した時期はナチスが政権を取得する時期に重なり、ユダヤ人の妻との絶縁を勧告され、これを拒否した。大学教授を免職されても研究を続けた。戦後はただちにスイスのバーゼル大学に復帰して、多くの著作を残した。ナチスに消極的な抵抗しかできなかった自己を反省して、戦争責任の問題を誠実に受けとめ、実存主義の立場から国際政治や平和などの諸問題について積極的に活動した。
実存主義
ヤスパースにとっての実存主義は、限界状況に直面して挫折した時に自己に開示される。限界状況とは、「死」、「苦」、「闘争」、「罪」といった、人生において誰もが直面する避けて通ることのできない障害である。このような絶望的状況におかれた時は誰もが挫折を体験する。しかし、現存在としての人間は、理性的存在者であるから、他者との「実存的交わり」において、こうした限界状況全体を超越する「包括者」との出会いによって限界状況を突破する可能性を自己に開示する。こうしたヤスパースの実存主義は、戦争中の西欧に生きる希望を与える思想となった。
限界状況
限界状況とは、人間の力では解明も克服もできない状況のこと。死、苦悩、逃走、罪責などを指す。これらは科学によって客観的に解明したり、技術的に制御することができない状況であり、人間がそれをこえ出ることも、変化さすこともできない。ヤスパースによれば、人間は常に限界状況に囲まれているが、気晴らしや一時の享楽にふけり、そのことを忘れ、本来の生き方を見失っている。限界状況は、真の実存に至る契機であり、そこから超越者との出会いや真の自己をめざすようになる。
私はつねに状況の中に存在し、争いや苦悩なしに生きることはできず、不可避的に責めを自分に引き受け、死ななければならないものである、といったような状況のことを、私は限界状況と名づける。限界状況は変化することがない。変化するとすればただその現象面においてだけである。限界状況は、われわれの現存在に関係させてみるとき、最終的なものである。
限界状況は、見渡されることのできぬものである。われわれの現存在においては、われわれは限界状況の背後に、もはや限界状況以外の何物をも見ることがない。限界状況は、壁のようなものであって、われわれはそれにぶつかっては挫折するだけである。限界状況は、われわれによって変えられるものではなく、ただ明るみへともたらされるだけのものであるが、しかし限界状況をほかの何か或るものをもとにして説明したり導出したりすることはできない。限界状況は,現存在自身といっしよになっているからである。
実存開明
実存開明とは、限界状況に関わる自己がそのことで実存が明らかになると言う状態をいう。人間は、限界状況にぶつかって挫折し、この世界の中で絶望する。しかし、同時にこの体験は、この世界をこえたものにまなざしを向ける、実存へのきっかけとなる。限界状況における挫折を通して、この世界をこえた永遠の超越者(包括者容)に向かって、みずからの生き方について決断する実存としての真の自己が生成するのである。
「私が私自身と呼ぶものを(物のように)観ることはできないが、私は実存において自身が他に依存しないことを知っている。実存の可能性の中から私は生きる。(自己のあり方を自由に選択し決断する)実存の実現においてのみ、私は私自身である…実存は、可能的なものであるがゆえに、選択と決断を通して、みずからの存在に向かって進むか、それともその存在から無の内に退くかのいずれかである。『哲学』「実存開明」
有限性
ヤスパースが有限性という言葉を使うとき、限界状況に直面することで明らかとなる、この世界における人間の無力さを示す。人間は、限界状況における挫折・絶望を通じて、この世界における自己の有限性を思い知らされる。その有限性の自覚を通して、この世界をこえた先にまざさしを向け、超越者の永遠の存在へと向かって、みずからの生き方を決断する真の実存へと生成する。
包括者
包括者とは、限界状況に直面して挫折する人間に対して、そこからの飛躍(超越)の可能性を開示する全体者のことである。包括者は人間を含めたあらゆる存在を包括するものであり、人間存在もこれに包まれているので完全な認識はできず、理性的対象化は不可能なものである。
実存的交わり
実存的交わりとは、真の自己を求める人格の相互の交わりのことをいう。交わりは自己としての 私が他の自己とともにあリ、他の自己と関係して私自身を得るものである。ヤスパースは、「人格的交わリ」を「現存在の交わり」と「実存的交わり」に区別した。前者が科学的・経験的な交わりであるのに対し、後者は前者の限界から始まリ、真のかけがえのない自己と他の同じかけがえのない自己とが、互いに緊張関係をもって交わるところに成リ立つ。ヤスパースは,「愛しつつ戦う」ところに「実存的交わり」を求めた。
実存的交わり—交わりを通して私は私自身に出会ったことを知るが、交わりにおいて他者はただこの他者である。すなわち唯一性こそは他者というこの存在の実体性の現象である。実存的交わりは前もって範(はん)を示されず、後から模倣もされず、絶対的にそのつどの唯一回性のうちにある。この交わりは、幾多の代理ではなく、まさにただこの自己であり、それゆえに代置されえない2つの自己の間に存する。この自己は、絶対的に歴史的であり外部からは認識されない交わりとしての、この実存的交わりのうちに、みずからの確実性をもつ。ただこの交わりにおいてのみ自己は自己に対して相互的な創造のうちにある。交わりにおいて自己存在を把握するために、自己は歴史的な決断において交わりと結ぶことによって孤立した自我存在としての自己存在を止揚したのである。
他者が彼自身でありかつそうであろうとし私が他者と共にありかつあろうとするとき、私は己れの自由において私自身である、という命題の、意味は可能性としての自由からのみ把握される。意識一般と伝統における交わりは認識可能な現存在の必然性であって、これなくしては無意識なもののなかへ沈没することは避けがたいが、これに対して実存的交わりの必然性はまさしく自由の必然性にほかならず、したがって客観的には理解しえないものである。本来的な交わりを回避しようとすることは私の自己存在の放棄を意味する。その本来的な交わりから離脱するならば、私は他者とと
もに私自身をも裏切ることになる。
枢軸時代
枢軸時代とは、ヤスパースの歴史観で、人類の意識が覚醒をした紀元前500年前後(前800年-前200年頃)をいう。この時代には、中国の諸子百家、インドのブッダ、イスラエルの預言者、ギリシアの哲学者などの思想家・宗教家が各地で輩出した。世界中で哲学や宗教が発展し、人類の精神文化の礎になった時代である。人類の精神史を考えるとき、この枢軸時代が人類の精神文化の発展の歴史の基軸になる。
『哲学』
『哲学』(1932)はヤスパースの哲学的態度を示した書で、「哲学的世界定位」「実存開明」「形而上学」の3巻からなる。限界状況を突破して、超越者の永遠の存在に向かって決断する実存としての自己の生成について説く。
『理性と実存』
『理性と実存』(1935)、理性的な実存のあり方について書かれており、簡単な言葉で著作でわかりやすく書かれている。。実存は、理性によって明らかになり、理性は、実存によって結実する。実存の開明には、理性的な誠実で明晰な思考が必要である。