包括者
包括者とはヤスパースの哲学の重要な概念である。
1.包括者とは、その著『哲学』によって「存在(sein)」と呼んだものと関係を持ち、同じ内容を持っている。この存在の概念は、第一、存在者を存在者として規定し、第二に一者、超越者、神である。それは特定の対象としては、捉えられない非対象なものである。つまり、存在とは、存在者を存在者として成立させ、取り囲む場所として究極的に神である。
2.アリストテレス以来の伝統を認容しつつ、古きアリストテレス的存在論との対決を企画し、キルケゴールに由来する実存主義の立場をとる。すなわち、もっとも現実的であるべき人間の内的行為を形而上学の中心問題としている。包括者とは、非対象的なものである。しかし、「もしも包括者に触れる思惟があるとすれば・・・」という想定をもってのみ、この思惟を自己自身を否定し、逆転させ、翻転させる思惟としている。
超越
この包括者への接近を超越と呼ぶ。この場合、二つの系列によって包括者を確認することができる。
(a)即自的存在としての包括者としての包括者。
すべての存在者を存在者として成立せしうめ、包括する場所、それは全体的なものであり、すなわち神であり、世界である。
(b)対自的存在としての包括者としての包括者。
我々自身であるところの包括者としての意識である。
<現存在、意識一般、精神、実存
さて、(b)の場合、意識に先行するものとしての現存在を、また意識に後続するものとして、精神という包括者を、さらに是等の根源をなすものとして実存という包括者を三つの段階の系列によって考えられる。
(A)現存在・・・現にここにあること一般。生の体験によって包括者としての生に出会う。
(B)意識一般・・・生の体験は、意識を通じて可能であり、意識は言語を可能にし、対象の思惟を可能にする。個々の意識ではなく、ひとつのものとして個々の意識を包括する。
(C)精神 ・・・現存在、意識一般という二つの包括者の綜合をなすもの。すなわち、精神という包括者である。それは個々の精神を包含する全体性である。
(D)実存 ・・・三つの包括者に対し、その根底となる別個の包括者は実存である。
(A)(B)(C)の三つのうちから包むものが必要で、精神が個別を全体化するのに対し、実存は、内的な決断を通じて刻々に実現される個別そのものである。人間の内的な歴史を形成する包括者が実存なのである。実存は神という他者との交わりによって可能である。