ミケーネ文明|クレタ文明を滅ぼしたミケーネ文明,世界史

ミケーネ文明

ミケーネ文明は、前1600~前1200年頃に、アカイア人がペロポネソス半島のミケーネ地方を中心に形成した青銅器文明である。クレタ文明を破壊してエーゲ海に住むようになった。以後250年間ギリシア本土のミケーネ・ティリンス・ピュロス・オルコメノスなどの王国が繁栄した。
前14~前13世紀頃が最盛期であったが、小王国に分立して抗争がつづき、丘陵に巨石城塞を築いた。そのころドーリア人の侵入で破壊されたとされてきたが、近年では、海の民と呼ばれる民族の侵入や気候変動など複数の原因が重なったためと考えられる。

エーゲ文明

エーゲ文明

目次

アカイア人

アカイア人は、前20世紀からギリシア地方に南下した民族である。インド=ヨーロッパ語族。アカイア人はクレタ文明を滅ぼし、ミケーネ文明を形成した。古代ギリシア人の祖先である。

ミケーネ

ミケーネは、ミケーネ文明の中心地である。ペロポネソス半島北東部に位置し、丘陵にアクロポリスを囲んで堅固な巨石城塞が築かれていた。ドイツの考古学者シュリーマンが発掘した。

トロイア

トロイア(トロヤ)は、小アジア西北岸の遺跡である。シュリーマンが発掘し、ホメロスの詩の中にあるトロイアの実在を証明した。9層の遺跡のうち第7層が、ミケーネ文明と同時期のトロイア文明にあたるとされている。

ティリンス

ティリンスはミケーネ文明の代表的遺跡である。ミケーネの南に位置する。

ピュロス

ピュロスは、ミケーネ文明の遺跡である。ペロポネソス半島西南岸に位置する。線文字Bが刻まれた多数の粘土板が出土した。

ミケーネの獅子門

ミケーネの獅子門

貢納王政

貢納王政は、ミケーネ文明期に行われた税制である。ピュロスの線文字B文書からは、王が役人組織を使って支配下の村落の農民に農産物などを貢納をおこなわせていたことがわかっている。

交易

19世紀までその存在自体知られていなかったが、ミケーネ文明は豊かで繁栄しており、地中海の東西の広い地域と交易していた。ミケーネ文明では巨大な王墓を作ったが、その王墓からは、陶器・武器・青銅器、王の仮面などの黄金製品が埋葬されていた。宝石のなかにはバルト海沿岸で産する琥珀が多数あり、青銅器をつくるためにブリテン島の鍋を購入したと思われる。

ミケーネの王政

王宮には戦士である貴族や王の従士たちを居住しており、王の所有物として奴隷もいた。ミケーネの諸王国はオリエントに比べ、領域は小さく、ミケーネ文明の中心であったミケーネでさえ、他の王国を統合するほどの規模は持たなかった。それぞれの国家には、強権に基づく王と王に隷属的な農民がおり、オリエント的な小さな専制王国のような社会が生まれた。このことは古代ギリシアの都市国家ポリスと類似している。

トロイア戦争

古代ギリシアの英雄たちがトロイアを攻め、10年間の包囲ののち陥落させたという伝説上の戦争。ホメロスの作とされる叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」に生き生きと描かれた。

ミケーネ文明の滅亡

ミケーネを筆頭とする各王国は前1300年ころから衰退が始まったといわれる。この頃城壁を強化するなど、外部からの攻撃に敏感になっていた。また前1260~前1250年ころ、おそらく黒海を結ぶ交易路をめぐり、トロヤと衝突。小アジアに遠征し、トロヤを滅ぼした。その後まもなく前1200年から前1100年にかけて、王宮(アテネを除く)は破壊され、ミケーネの諸王国は滅び、ミケーネ文明は滅亡した。その原因は、内乱、ヒッタイトエジプトを攻めた海の民の侵攻、ドーリア人の侵攻などがあげられるが、確かなことはわかっていない。

暗黒時代

ミケーネ文明の滅亡以降、前12~前8世紀のギリシア史上の混乱時代に入り、この400年間の詳細はほとんどわかっていない。史料は残されておらず、〝暗黒〟の時代である。(暗黒時代)この頃からギリシア人は鉄器を使用するようになり、前8世紀頃、ポリスを中心とした古代ギリシアの時代に入る。

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