ミケーネ文明|クレタ文明を滅ぼしたミケーネ文明,世界史

ミケーネ文明

ミケーネ文明は、ギリシア本土を中心とするエーゲ海世界の青銅器時代後期に栄えた文明である。およそ紀元前16世紀から紀元前12世紀にかけて発達し、複数の都市国家が強固な宮殿を築き上げたことで知られている。アルゴリス地方にあるミケーネやティリンスなどの遺跡からは大型の石造建築や豊富な副葬品が発見され、高度な政治組織や社会構造が存在していたことがうかがえる。加えて、文字としては線文字Bが使用されており、これは記録管理のために行政や宗教儀礼で活用されたと推定される。19世紀にシュリーマンが行った考古学調査によってその存在が広く認知され、ホメロスの叙事詩に描かれた古代ギリシアの英雄譚とも結びつけられるようになった点も興味深い。ミケーネ文明の都市は強固な城壁に囲まれ、王宮を中心とした集権的な権力構造を持っていたが、外部との交易ネットワークも活発に展開していたと考えられている。

概説

エーゲ海周辺ではクレタ島のミノア文明が先行して発展したが、本土部ではミケーネ文明がそれに続く形で力を伸ばした。クレタの影響を受けつつも、青銅器技術の更なる洗練や宮殿周辺の集約的な行政機構の発達など、独自の文化的特徴を確立したと考えられている。やがて本土各地の王国同士の競合や外部勢力の進入などを経て歴史の表舞台から姿を消したが、その遺産は後の古代ギリシア社会へ大きな影響を与えた。

ミケーネ文明の概要

ミケーネ文明は、前1600~前1200年頃に、アカイア人がペロポネソス半島のミケーネ地方を中心に形成した青銅器文明である。クレタ文明を崩壊して以降、250年間ギリシア本土のミケーネ・ティリンス・ピュロス・オルコメノスなどの王国が繁栄した。前14~前13世紀頃が最盛期であったが、小王国に分立して抗争がつづき、丘陵に巨石城塞を築いた。そのころドーリア人の侵入で破壊されたとされてきたが、近年では、海の民と呼ばれる民族の侵入や気候変動など複数の原因が重なったためと考えられる。

エーゲ文明

エーゲ文明

アカイア人

アカイア人は、前20世紀からギリシア地方に南下した民族である。インド=ヨーロッパ語族。アカイア人はクレタ文明を滅ぼし、ミケーネ文明を形成した。古代ギリシア人の祖先である。

ミケーネ

ミケーネは、ミケーネ文明の中心地である。ペロポネソス半島北東部に位置し、丘陵にアクロポリスを囲んで堅固な巨石城塞が築かれていた。ドイツの考古学者シュリーマンが発掘した。

トロイア

トロイア(トロヤ)は、小アジア西北岸の遺跡である。シュリーマンが発掘し、ホメロスの詩の中にあるトロイアの実在を証明した。9層の遺跡のうち第7層が、ミケーネ文明と同時期のトロイア文明にあたるとされている。

ティリンス

ティリンスはミケーネ文明の代表的遺跡である。ミケーネの南に位置する。

ピュロス

ピュロスは、ミケーネ文明の遺跡である。ペロポネソス半島西南岸に位置する。線文字Bが刻まれた多数の粘土板が出土した。

ミケーネの獅子門

ミケーネの獅子門

特徴

ミケーネ文明の文化的特徴としては、勇壮な戦士のイメージが挙げられる。石灰岩を積み上げた巨大な城壁や獅子門のような象徴的な門構造は、支配者の権力を示すだけでなく敵の侵入を防ぐ役割も担っていた。また、黄金のマスクや精巧な装飾品に見られるように、金属加工技術に長けていた点が大きい。この時代は交易圏が拡大し、エジプトや西アジアとの交流を通じて貴金属や陶器技術などを入手し、それらを基にして独自の芸術文化を花開かせたと考えられる。

王宮と行政

いずれの都市でも宮殿が政治・宗教の中心であったとされ、集権的な統治が行われていた可能性が高い。線文字Bにより、穀物や家畜、武器などの在庫を詳細に記録し、王宮からの配給や徴税がシステム化されていたことが推察される。ミケーネ文明下の行政組織は明確な階級制を持ち、王を頂点として戦士階層や神官、職人などが機能的に役割を分担していた。こうした統治のあり方は後のポリス社会につながる組織的基盤の先駆と見る研究者もいる。

貢納王政

ミケーネ文明期に行われた税制は貢納王政という。

ミケーネの王政

王宮には戦士である貴族や王の従士たちを居住しており、王の所有物として奴隷もいた。ミケーネの諸王国はオリエントに比べ、領域は小さく、ミケーネ文明の中心であったミケーネでさえ、他の王国を統合するほどの規模は持たなかった。それぞれの国家には、強権に基づく王と王に隷属的な農民がおり、オリエント的な小さな専制王国のような社会が生まれた。このことは古代ギリシアの都市国家ポリスと類似している。

交易

19世紀までその存在自体知られていなかったが、ミケーネ文明は豊かで繁栄しており、地中海の東西の広い地域と交易していた。ミケーネ文明では巨大な王墓を作ったが、その王墓からは、陶器・武器・青銅器、王の仮面などの黄金製品が埋葬されていた。宝石のなかにはバルト海沿岸で産する琥珀が多数あり、青銅器をつくるためにブリテン島の鍋を購入したと思われる。

ミノア文明との関係

  • クレタ島の先行文化であるミノア文明は、建築や芸術表現の面でミケーネ文明に影響を与えたと考えられる
  • 線文字Bは線文字Aを基にしているとされ、ミノアの行政管理技術を継承している点も注目に値する
  • 宮殿の構造や祭祀の様式などに類似性が見られる一方、本土独自の石造要塞や軍事的特徴が色濃く残る

トロイア戦争と叙事詩

古代ギリシアの叙事詩『イリアス』や『オデュッセイア』は、トロイア戦争と深く関係しているとされるが、その戦争の実在性は長い間議論の的であった。19世紀にシュリーマンが行った発掘調査によりトロイア遺跡が確認され、ミケーネ文明との関わりも注目された。多くの研究者はトロイア戦争を完全な史実ではなく、ある程度の事実に物語要素が加わったと推定しているが、その底流には本土勢力がエーゲ海各地の都市へ拡大を図った歴史がある可能性が高い。

ミケーネ文明の滅亡

ミケーネを筆頭とする各王国は前1300年ころから衰退が始まったといわれる。この頃城壁を強化するなど、外部からの攻撃に敏感になっていた。また前1260~前1250年ころ、おそらく黒海を結ぶ交易路をめぐり、トロヤと衝突。小アジアに遠征し、トロヤを滅ぼした。その後まもなく前1200年から前1100年にかけて、王宮(アテネを除く)は破壊され、ミケーネの諸王国は滅び、ミケーネ文明は滅亡した。その原因は、内乱、ヒッタイトエジプトを攻めた海の民の侵攻、ドーリア人の侵攻などがあげられるが、確かなことはわかっていない。

トロイア戦争

古代ギリシアの英雄たちがトロイアを攻め、10年間の包囲ののち陥落させたという伝説上の戦争。ホメロスの作とされる叙事詩「イリアス」と「オデュッセイア」に生き生きと描かれた。

影響

ミケーネ文明崩壊後、宮殿制度の崩壊により線文字Bの伝統も途絶え、以降は文字記録のほとんど残らない「暗黒時代」が訪れた。しかし、この文明で培われた技術や文化は後の古代ギリシア世界に受け継がれ、都市国家の成立や芸術・宗教観の形成に大きな足跡を残したと考えられる。

暗黒時代

ミケーネ文明の滅亡以降、前12~前8世紀のギリシア史上の混乱時代に入り、この400年間の詳細はほとんどわかっていない。史料は残されておらず、〝暗黒〟の時代である。(暗黒時代)この頃からギリシア人は鉄器を使用するようになり、前8世紀頃、ポリスを中心とした古代ギリシアの時代に入る。

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