ポエニ戦争|ローマ帝国によるカルタゴ侵略

ポエニ戦争

ポエニ戦争は、前264~前146に続いた、3回にわたるローマとカルタゴとの西地中海の覇権をめぐる戦争である。ローマ人がフェニキア人をポエニ(Poeni)と呼んだことに由来する。ローマカルタゴを滅ぼし、スペインほか、西地中海を制覇した。

第1次ポエニ戦争

第1次ポエニ戦争(前264~前241)の発端は、シチリア島のギリシア人の都市メッサラが、ローマの援助を求め、シチリア島に勢力を張っていたカルタゴと開戦せざるを得なくなることに始まる。ローマ海軍が奇策によって勝ち、さらに苦戦の末にローマ側の勝利に終わった。その結果、ローマは最初の海外領土(属州)としてシチリアを獲得し、賠償金を支払わせた。。さらにローマは講和後にサルデーニャとコルシカをも征服して属にした(前238)。なお、シチリア島を失ったカルタゴは、その代わりに前237年ころからイベリア半島の開発に乗り出した。

属州

第1次ポエニ戦争でシチリアなどの海外領土をえたローマは、そこに総督を送って統治させ住民からは税を徴収した。これを属州という。属州からの富が流入して、イタリアのローマ市民の直接税は前167年から免除された。

第2次ポエニ戦争

第2次ポエニ戦争(前218~前201)は、カルタゴハンニバル(前247~前183または182)がスペイン植民地兵を率いて、アルプスを越えイタリア侵入を行ったことから始まる。ハンニバルはカンネの戦いに大勝し(前216)、一時ローマ市は危機におちいったが、ローマ市民の意気は衰えず、半島内の同盟諸市も大多数はローマから離反しなかった。ローマの将軍スキピオ(前236~前184または183)がスペインを制圧してカルタゴを攻め、ザマの戦いで急いで帰国したハンニバルの軍隊を破り、最終的にはローマの勝利をみちびいた。

スペイン併合

ローマは第二次ポエニ戦争で、カルタゴの戦闘力を完全に奪い、50年間にわたる賠償金を課した。さらにカルタゴの植民地スペインを併合。ローマの了解なしにはアフリカ内の近隣の国との開戦も禁じ、西地中海の覇権を握ることになる。

ギリシアへの進出

ローマは前2世紀にはギリシア方面にも進出し、ギリシア都市の要請に応じてマケドニアと戦った。はじめはマケドニアからギリシアを解放して自由を与えて撤退するなど、ローマは侵略的ではなかった。

第3次ポエニ戦争

カルタゴは、第2次ポエニ戦争後、農業を発達させ、ぶどう酒やオリーブ油を輸出して繁栄し、ローマ大土地所有者に脅威を与えた。前149年、カルタゴは、隣国ヌミディアに攻められた結果、戦争に引きずり込まれた。ローマはこれを条約違反と見なしてカルタゴに派兵し、カルタゴは完全に滅ぼされることになる。(前146)。

ポエニ戦争の名称

「ポエニ」は「フェニキア」の意味で、カルタゴがフェニキア植民市であったためこう呼ばれる。

ローマ軍の特徴

ポエニ戦争は、当時のローマはすでに身分闘争を終え、貴族と平民が同等の権利をもち、また市民兵制度が実現されていた。ローマの市民団は重装歩兵として自立的に展開していた。

カルタゴ軍の特徴

カルタゴは専制的な大商人の寡頭政治のもとにあり、軍隊も外国人傭兵や被征服民からなり、士気や能力においてローマ軍に劣っていたことが推察される。