プトレマイオス朝エジプト|エジプト最後の王朝

プトレマイオス朝エジプト

プトレマイオス朝エジプトは、アレクサンドロス大王の部将プトレマイオスが建国した、古代エジプト最後の王朝である。ギリシア系で、アレクサンドリアを都とし、ヘレニズム世界の中心的存在となって繁栄したが、前30年ローマに滅ぼされた。

ヘレニズム時代

ヘレニズム時代

王朝

プトレマイオス家の支配したエジプトは、地理的条件にも恵まれていたため、最も安定した王国であった。王が神として人民の上に君臨するエジプト古来の伝統を生かして支配し、マケドニア人やギリシア人が支配階級となっていた。

アレクサンドリア

アレクサンドロスは、約70といわれるアレクサンドリアを作ったがその中でも、最初に建設されたエジプトアレクサンドリアが、重要な都市として発展した。アレクサンドロス大王の死後、プトレマイオス朝の王宮の所在地となり、行政の中心地であるとともに、貿易港としても栄えた。アレクサンドリア市内には多数のギリシア人のほか、ユダヤ人なども住み、商工業に従事していた。

学問の発達

プトレマイオス朝エジプトの王家は、学芸を保護奨励し、ここに研究所としてムセイオンを作った。各地から学者が集まり、新しい傾向の学問が発達、ヘレニズム文化の中心になる。

繁栄

多くの産業が国家の独占企業として運営されていた。地理的な条件も優れ、商工業や貿易が発達し、首都アレクサンドリアは空前の繁栄を見た。

滅亡

ヘレニズム諸国のなかでは、最も長く続いたが、最後の女王クレオパトラ7世の自殺によって、前30年ローマ帝国に併合された。

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