ヴィクトール・フランクル|『夜と霧』,ロゴセラピー,精神医学

ヴィクトール・フランクル Viktor Emil Frankl

フランクルは、オーストリアのウィーンの精神医学者。(1905.3.26-1997.9.2)ウィーン大学で医学を修め、フロイトやアドラーから精神分析学を学ぶ。後に独自の実存分析(ロゴセラピー)を提唱した。主著『夜と霧』。
第二次世界大戦中に、ユダヤ人であるがゆえにアウシュヴィッツの強制収容所に収容され極限状況を体験する。『夜と霧』で、壮絶なアウシュヴィッツの体験を元に、人間の生の尊厳を追求した。彼はこの中で、収容所生活を耐え抜いたのは、「恐ろしい周囲の世界から精神の自由と内的な豊かさへと逃れる道が存在していたから」と述べている。自分が与えられたいかなる状況においても、主体的に自分の生きる意味や価値を追求することが、精神の死や肉体の死さえも克服する力となった。
フロイトの精神分析が性欲を中心とする自然的・生物的な見方に偏っていることを批判し、生きる意味を求める精神的な側面に着目し、人生の態度や行動を分析して生きる意味を解明する実存分析を主張した。

フランクル
フランクル

目次

著作『夜と霧』の原題

著作『夜と霧』の現代は『Ein Psycholog erlebt das K.Z.』となっており、直訳すると、『強制収容所における一心理学者の体験』となる。『夜と霧』とは、非ドイツ国民を特別な理由もなく占領軍に対する犯罪容疑者にしたて強制的に収容所に連行し、安否も居所も家族に知らせずに虐殺した、ヒトラーの命令「夜と霧」に由来する。ユダヤ人やロシア捕虜、パルチザン、「夜と霧」の囚人ら1200万人以上の大虐殺が行われ、ヨーロッパのユダヤ人の役3分の2にあたる600万人以上が含まれていたとされる。ポーランドの小さな街の名であるアウシュヴィッツがもっとも著名な収容所であった。

著作『夜と霧』の内容について

『夜の霧』の内容はナチスドイツによる収容所建設の経緯、各収容所の非人道的虐殺の様子に加え、写真や図版が掲載されている。精神医学者として冷静に極限状態の中に生きる人間を観察し、私的叙述を排除して、囚人の苦悩や生活がどのように彼らの心に反映されたかを記述している。

『夜と霧』フランクル

囚人が現在の生活の恐ろしい「如何に」(状態)に、つまり収容所生活のすさまじさに、内的に抵抗に身を維持するためには何らかの機会があるかぎり囚人にその生きるための「何故」をすなわち生活目的を意識せしめねばならないのである。
反対に何の生活目標を、もはや眼前に見ず、何の生活内容ももたず、その生活において何の目的も認めない人は哀れである。彼の存在の意味は彼から消えてしまうのである。そして同時に頑張り通す何らの意義もなくなってしまうのである。

あらゆる慰めを拒絶する彼等の典型的な口のきき方は、普通次のようであった。「私はもはや人生から期待すべき何ものも持っていないのだ。」これに対して人は如何に答えるべきであろうか。
・・・すなわち人生から何をわれわれはまだ期待できるかが問題なのではなくて、むしろ人生が何をわれわれから期待しているかが問題なのである。

フランクリン
フランクリン

ロゴセラピー(実存分析)

ロゴセラピー(実存分析)とは、人生の意味に焦点を当てる心理療法のことである。人間を常に生きることの意味を求める精神的な存在としてとらえ、人生に対する態度や行動を分析することによって人生の意味を明らかにし、神経症に悩む人びとを治療しようとする基本理論のもとに行われる。
自らの行動を選択する可能性を持つ「実存としての人間」を分析し、生きることの意味を解明しようとする。ロゴセラピーの基本的な仮説は意志への自由、意味への意思、人生の意味の三点である。

  1. 意思への自由:決定論への反対。人間は諸条件に対して自らある態度をとるという自由
  2. 意味への意思:人間は何よりも生きる意味を求めようとする。
  3. 人生の意味:各々の人間に独自な人生の意味が必ず存在している。

ノイローゼの患者に対して、人間存在の価値の可能性を発見するように仕向けることによって生存の意味を見つける助けとなる治療法だと考えられる。よって人生の意味が見いだせず、実存的に欲求不満の個人に対して有効であり、その個人をより質の高い、目的感のある生き方に高揚される治療法といえる。

ロゴセラピー(実存分析)の着想に至る収容所体験

フランクリンは極限状態の耐え難い苦しみの中で、講演会場の演題にたち、強制収容所の心理学について語る、という行為を精神の内面で行っている。このことで一時的であれ、肉体的苦痛を緩和し、精神を解放することができた、このことがロゴセラピー理論の構築につながったと類推される。

私のあらゆる思想が毎日毎日苦しめられるこの残酷な強迫に対する嫌悪の念に私はもう絶えられなくなった。そこで私は一つのトリックを用いた。突然私自身は明るく照らされた美しくて暖かい大きな講演会場の演題に立っていた。私の前にはゆったりとしたクッションの椅子に興味深く耳を傾けている聴衆がいた・・・そして私は語り、強制収容所の心理学についてある講演をした。そして私をかくも苦しめ抑圧するすべてのものは客観化され、科学性のより高い見地から見られ描かれた。


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