ピコ・デラ・ミランドラ

ピコ・デラ・ミランドラ Giovanni Pico della Mirandola、1463.2.24 – 1494.11.17

ルネサンスの哲学者、人文主義者。主著『人間の尊厳について』。イタリアのミランドラに領主の子として生まれる。諸国を遍歴してユダヤ教イスラム教哲学を学び、ユダヤ教の神秘主義的な教説であるカバラに傾倒した。23歳の頃、あらゆる思想・宗教は同じ真理の表現であると考え、それらを一つに融合すべく、ローマに諸国の知識人を招き、900の命題についての大討論会を企画した。ここでいうあらゆる思想・宗教は、当時主流であるスコラ哲学だけなく、イスラム哲学、ユダヤ哲学、アリストテレス、新プラトン主義、ピタゴラスゾロアスター教など、当時ピコ・デラ・ミランドラが知り得たあらゆる思想や哲学が含まれており、この討論会の意義は、それらすべてを大衆の面前に提出し、吟味することにあった。しかし、当時の教会からは異端扱いされ、実現せず、ローマ教皇から破門されてフランスに逃れたが、パリに幽閉された。ロレンツォ=デ=メディチの庇護のもとに釈放され、以後フィレンツェに住み、プラトン=アカデミアでフィチーノと共に神秘主義的なプラトン主義の哲学を研究する、恵まれた研究生活を送る。人間が自由意志によって自分の進むべき道を選択し、自分自身を形成するところに人間の尊厳の根拠を見出した。31歳で熱病で死去した。(一説によると、極端な市政改革を進めたフィレンツェの修道士サヴォナローラとの信仰があったことによるメディチ家の暗殺によるものとする説もある。)

ピコ・デラ・ミランドラ

ピコ・デラ・ミランドラ

年表

1463年 イタリアのミランドラ市に生まれる。
1480年 パドヴァ大学に学ぶ。
1484年 フィレンツェに戻りプラトン=アカデミーで研究生活を行う。
1486年 ローマで大討論会を企画し、挫折する。

『人間の尊厳について』 ピコ・デラ・ミランドラ

『人間の尊厳について』とは、ピコ・デラ・ミランドラが、各地の学者を招いてローマで開く予定であった討論会のために準備した演説原稿である。人間の尊厳性や優秀性が強く主張され、ヒューマニズムの先駆的内容となっている。ピコ・デラ・ミランドラは、あらゆる思想・宗教は同じ真理の表現であると考え、諸思想を一つに融合しようとした。そして、神は世界とすべての存在を作ったあと、永遠なものと時間的なものとの中間者として人間を作った。神はそうした人間に自由意志を与え、自己の生き方を自由に選ばせるようにした。人間は、自由意志によって動物や悪魔に堕落することもできれば、神に近い存在に近い存在になる生き方を選ぶこともできる。人間がみずからの自由意志で自分自身を形成していくところに、人間の尊厳の根拠があるとした。これは人間の運命を「神の定め」として受け入れる中性的人間観から、人間の本質を「自由」であるとする、近代的人間観への転機であるといえる。

おお、アダムよ。我われはおまえになんら一定した住所も、固定した容貌も、とくに定められて使命も与えなかった。それはおまえが自分に欲しいと思う住所と容貌と、性質とを、要求通りに、また、おまえ自身の考え通りに持つようにというためである。他の被造物に認められた本性は、我われが彼らに与えた法則に拘束せられている。おまえだけは、どういう制限にも束縛されていない。私がおまえにまかせたおまえ自身の自由意志によって、おまえは自分の本性を形づくってもかまわない。(『人間の尊厳について』)

人間は自己自身の自由な形成者であるがゆえに、ほかの被造物にまさる固有の尊厳を有する。
(『人間の尊厳について』ピコ・デラ・ミランドラ)

『人間の尊厳について』への異端批判

若干23歳であったピコ・デラ・ミランドラが企てた討論会に対し、当時の教会には許しがたく多くの批判があった。『人間の尊厳について』の冒頭部分は人間の存在の賞賛についてなされているが、ほぼ大部分はみずからの批判者への弁明となっている。当時のローマ教皇インノケンティウス八世は、討論会前に委員会を設け、900の提題のうち、10つが疑義ありとされ、さらに、「キリストは地獄に下ったとき、実際はそこにいなかった」、「魔術とカバラ以上にキリストの神性を我々に確信される学問は存在しない」「大罪は永遠の罪を受けるに値しない」の3つが異端とされた。ピコ・デラ・ミランドラはこれに不服とした結果、フランスで投獄されることとなる。

『人間の尊厳について』 の第一部

『人間の尊厳について』の第一部は402の提題が集められ、ピコ・デラ・ミランドラが学んだ学派から得た教説を要約している。「ラテン人」「アラブ人」「ギリシアのペリパトス学派」「プラトン主義者」「古代の諸哲学」という順番で並べられているが、これはスコラ哲学から古代の諸学派を、一種の歴史的な配列で構成されている。ピコ・デラ・ミランドラにとって、根本的には、アリストテレス、プラトン、ラテン人、アラブ人の哲学も決して矛盾するものではないが、歴史的な流れの中で細分化がすすみ、様々な矛盾や違いができただけである。そして、その悲劇的な状況の中に当時のスコラ哲学も含まれ、ピコ・デラ・ミランドラは、これらの哲学を原初の統一と調和を目指した。

「ギリシア人やアラブ人の哲学者を度外視ししてラテン人の哲学だけ…が論じられたとしても何の価値があろうか。あらゆる知恵は蛮族からギリシア人たちへ、ギリシア人たちから我々へと流れくんだのであるから」(『人間の尊厳について』ピコ・デラ・ミランドラ)

『人間の尊厳について』 の第二部

『人間の尊厳について』の第ニ部は498の提題で集められ、第一部で開設された学説に対するピコ・デラ・ミランドラの見解を述べている。ピコ・デラ・ミランドラが恣意的に導き出した過去の哲学者、哲学的伝統の教説であり、自身の見解が順を追って説かれている。