パクスロマーナ
パクスロマーナとは、ローマの平和を意味し、アウグストゥスから五賢帝の時代の末期にいたるまでの約200年、ローマ帝国は黄金時代をさす。この間、ローマ帝国は、広大な領域の治安は安定し、帝国内に多数のローマ風都市が建設され、その繁栄は絶頂に達した。
ネロ
ネロは暴虐で有名な皇帝(在位54~68)で知られる。64年のローマの大火の責任をキリスト教徒に科し、迫害した。最後には人心を失い、追放されて自殺した。
五賢帝
五賢帝はパクスロマーナといわれる平和の時代を収めた、ローマ帝国の皇帝である
- ネルヴァ(在位96~98):五賢帝の最初の皇帝。
- トラヤヌス(在位98~117):スペイン出身で、初の属州出身の皇帝。
- ハドリアヌス(在位117~138):トラヤヌス帝時代の対外積極策から内政整備と辺境防衛に転じた。
- アントニヌス=ピウス(在位138~161):貧民救済事業とローマ帝国の財政改革に努めた
- マルクス=アウレリウス=アントニヌス(在位161~180):異民族の侵入に苦慮した。
領土
トラヤヌス帝のときにローマ帝国の領土は最大となった。ドナウ川の向こう岸のダキアを属州として、北はブリタニア、南はサハラ砂漠北端、東はメソポタミア、西は大西洋岸まで、アジア・アフリカ・ヨーロッパの3大陸にまたがり、地中海を内海とする大帝国であった。
総人口
パクスロマーナの時代の総人口は5000万人から6000万人であったと推定される。
ローマ風都市
リヨン・トリアー・ウィーン・パリ・ロンドンなどは、この時代に軍団駐屯地などからローマ風の都市に成長していった。
交易
各皇帝は陸海のインフラ整備をすすめ、交通の安全は確保された。ローマの交通網は帝国中に張りめぐらされ、それぞれの属州の無数の都市の繁栄を拠点としてネットワークをなした。それらは、ローマ風の都市に育ち、古代ギリシア・ローマの融合した都市的文化が栄えた。
言語
東方ではギリシア語が広く使われていたが、帝国政府はラテン語の普及に努めた。当時、帝国の全域にギリシア語とラテン語の2つの言語を使えば、用は足りたと推測される。
経済
ローマ帝国全土にインフラが整うと大規模な交易が進んだ。属州の農業生産や手工業はイタリアをはじめローマ帝国全域で渡るようになる。また、アラビア・インド・中国・東南アジアとの季節風貿易と呼ばれる貿易や隊商貿易が利用され、東方の貴金属、香辛料、絹、珍しい野獣などが地中海世界に流通した。
季節風貿易
季節風貿易は、1~2世紀頃に栄えた、インド洋の季節風(モンスーン)を利用した貿易である。地中海・紅海・ペルシア湾から南インドまで交易圏が拡大した。ローマ帝国はアジアから絹・香辛料などを輸入し、ガラス器・ブドウ酒・金貨などを輸出した。『エリュトゥラー海案内記』には、当時の貿易事情が述べられている。
カラカラ帝の勅令
帝国住民はローマ市民権者と属州民と奴隷に分かれ、市民権は広く属州民や解放奴隷に与えられていき、212年のカラカラ帝(位211~217)の勅令により、帝国全土の自由民に与えられた。