ハーバーマス Jürgen Habermas
ハーバーマスはドイツの社会学者・哲学者で、フランクフルト学派の第二世代に属する。主著は『コミュニケーション的行為の理論』『理論と実践』『公共性の構造転換』。ホルクハイマーやアドルノのように、ヨーロッパの近代的理性(啓蒙的理性)を一方的に批判するようなことはせず、近代にはまだ「未完」のものではあるが積極的なものとしての合理性が含まれていると考えた。ハーバーマスは、コミュニケーション的合理性と名付けた。
政治や歴史など社会運動に積極的に参加した。東西冷戦の時代に、アメリカの中距離ミサイルがドイツに配備されると、ドイツの市民は核戦争反対を訴えて「人間の鎖」による平和デモを実施したが、ハーバーマスは市民的不服従の立場から積極的に肯定した。また、対象の中立的な観察という分析科学の立場をめぐって、実証主義論争、社会学者ルーマンとの論争、などが知られている。
ハーバーマスの略年
1929 デュッセルドルフで生まれる。
1954 博士号取得(ボン大学)
1956 フランクフルト社会研究所に入り、アドルノの研究助手となる。
1961 ハイデルベルク大学教授に就任。
1962 『公共性の構造転換』刊行。
1964 フランクフルト大学教授に就任。
1981 『コミュニケーション的行為の理論』2巻本で刊行。
1994 フランクフルト大学教授を辞し、同名誉教授となる。
ハーバーマスの生涯
ハーバーマスは、1929年にドイツ、デュッセルドルフの中産階級の家に生まれた。、ナチス=ドイツのファシズムの時代に、軍国主義教育を受けてヒトラーユーゲントの一員として少年期を過ごしたが、戦後はアメリカ占領下の民主主義的教育に影響を受けた。ゲッティンゲン、チューリヒ、ボンの各大学で哲学、歴史学、心理学を学び、新聞に書評などを寄稿した。1956年からフランクフルト社会研究所の助手として、アドルノおよびホルクハイマーから、大きな影響を受けるが、社会改革運動を支持する急進的な思想が、ホルクハイマーの反発を招いたため、1959年に社会学研究所を去ることになった。1961年ハイデルベルク大学教授に就任し、1962年に『公共性の構造転換』を刊行した。1964年、ホルクハイマーの退いた後のフランクフルト大学教授となるが、1971年から81年まで「科学技術化された世界における生活条件の研究」という長いタイトルのマックス-プランク研究所の所長となる。1983年フランクフルト大学に復帰し、フランクフルト学派の第2世代の中心的存在となる。2004年、第20回京都賞(思想・芸術部門)が送られた。
ハーバーマスの思想の概要
ハーバーマスは、「生活世界」と「システム」の対立を問題にする。生活世界とは、人間的なもので、家族や隣人などの人間同士で対話されるコミュニケーションである。一方で権力と貨幣で行為の調整を行う市場経済や行政組織の領域は「システム」として設定される。ハーバーマスは生活世界のコンテクストからシステムが分離される過程を解明した。そして、社会制度を法制度化するために、システムとして「価値の高度な普遍化」が必要で、生活世界としての「文化的な伝統」からシステムとしての「抽象的かつ普遍的に規範化された行為領域」の設定を説く。
形式的に組織された行為領域の生活世界のコンテクストからの分離が可能になるのは、生活世界そのものの記号的構造が十分に分化しつくしてしまった後である。社会的な諸関係を徹底して法制度化するためには、価値の高度な普遍化社会的行為が広範囲にわたって規範的なコンテクストの拘束から解放され、具体的な倫理が道徳性と合法性とに分離していることが心要である。生活世界が徹底的に合理化され、ついには倫理的に中性化された行為領域が、法規範と根拠づけという形式的な手続きさえ通せばすべてOK、というところまでゆかねばならない。文化的な伝統は徹底的に骨抜きにされ、ついには、秩序の正当性が、伝統に根を下したドグマの基盤なしにでも成立しうるようにならなければならない。そして各人は、抽象的かつ普遍的に規範化された行為領域で一多少の種差はあっても一-自律的に行為でき、自己のアイデンティティを危機にさらすことなく、これまでの道徳的に定義されてきた了解に定位された行為の諸連関から、法的に組織された行為領域へとスイッチの切り替えができなければならない。(ハーバーマス『コミュニケイション的行為の理論』)
道具的理性
道具理性とは、自然、他者、そして主体自身をさえ「計算可能」なものに変え、自然を支配しようとする理性である。道具的理性の目的追求的・戦略的な機能が過剰になるとき、戦争やファシズムを生むとされる
対話的理性
対話的理性とは、対等な立場で自由に話し合いながら、共通理解のもとで合意をつくり出す理性的な能力で、道具的理性に対になる概念である。社会を統合する力は道具理性による外部からの支配力ではなく、社会の成員の話し合いによって形成された自発的な合意に基づかなくてはならない。対話的理性によって十分に時間をかけた対話がもたらす結論に全員が合意し、その合意のうえに社会の公共性が築かれる。これを多元的社会における多様な社会規範の正当性を判断する基準とした。現実の社会では様々な要因によってゆがめられているが、この対話的理性を実現し、私たちが住む「生活世界」の人間らしさを守ろうとすることを説いた。
コミュニケーション的合理性
コミュニケーション的合理性とは、社会の構成員によって討議を交わし、言葉を通して互いに了解しあうことによって、相互の行為を調整するルール設定を行う合理性である。社会の行為のルール(規範)は、その構成員による十分な討議をへて、言葉による対話型のコミュニケーションを通じた合意に基づかなければならない。西欧型民主主義国家やイスラム国家などが共存する多元的な世界では、ルール(規範)の実質的な内容について外部から論じることはできず、そのルール(規範)が社会の内で形成されるに到った言語的なコミュニケーションの手続きの合理性によってのみ正当化される。ハーバーマスは、このようなコミュニケーション的合理性が社会の公共性を形成し、民主的な社会統合の基礎になるとした。
討議は、真剣に論争に参加するそれぞれが実際に試みなければならない理想的な役割の取得によって道徳的観点を明らかにする手続きの役割を果たすことができる。実践的討議のプロセスである。
理想的なコミュニケーション
理想的なコミュニケーションは、社会の構成員のすべてに平等に発言の機会が与えられ、自由に十分な議論がなされたうえで合意が形成されることだとした。社会の構成員の合意形成のための理想的な対話のあり方である。市民の合意に基づいて規範(ルール)づくりをおこなう討議は、外部からの干渉や制約を受けず、すべての参加者が発言の機会を平等に与えられ、他者の意見を聞くことと自分が話すことが対称的に行われなければならない。
われわれは、コミュニケーションの参加者として、このコミュニケーションそのものの中で『真の』合意と『偽なる合意』との区別をなしうる、ということを頼りにする(『予備的考察』『諸真理論』)
理想的コミュニケーションの状況という条件のもとで、討議(ディスクルスDiskurs)によって産み出された合意は、どんなものであっても、そのつど主題とされる妥当性の要求に対する基準とみなされることができる。(『予備的考察』『諸真理論』)
連帯
ハーバーマスは健全な討議や理想的コミュニケーションが実現されると同時に連帯も実現されるとした。理想的コミュニケーションが実現された社会では、だれもが仲間として共通の生活関連に対して、同じ仕方で関心をもつことになるからである。
システム合理性
システム合理性とは、権力や貨幣といった制御メディアが、人間の行為を自動的に調整し、社会システムを統合する合理性である。システム合理性により、市民の対話に基づくコミュニケーション的合理性を制限せざるを得ない。政治的支配や経済成長を目的とする社会は、権力や経済的な交換価値(貨幣)が、人びとの行為を調整するなかだち(制御メディア)となるシステム合理性に基づく。
生活世界の植民地化
ハーバーマスは、機能的な政治・経済済的社会の根底には、市民の対話によるコミュニケーションが生み出す公共社会があるべきだが、現代は、権力や貨幣などの制御メディアが支配するシステム合理性が、市民のコミュニケーション的合理性に基づく生活世界を侵蝕し、植民地化しているとして警告した。
『公共性の構造転換』
『公共性の構造転換』(1962年)では、18世紀ヨーロッパでは市民による文化や政治の自由な討論が許されたが、19世紀末になると国家による支配が強化され、市民的公共性による社会運営が喪失された、と説く。
『コミュニケーション行為の理論』
『コミュニケーション行為の理論』(1981年)では、権力や暴力を排除した理想のコミュニケーションを論じる一方で、生活世界が政治権力や貨幣に代表されるシステム合理性により虐げられ、生活世界の植民地化が進行しているとした。