ハンナアーレント|思想と哲学,全体主義の起源

ハンナ=アーレント Hannah Arendt

ハンナアーレント(1906.10.14 – 1975.12.4)は、ドイツで生まれ、アメリカに亡命した政治学者、思想家。主著は『全体主義の起原』『人間の条件』。ユダヤ人家庭に生まれ、大学で哲学・神学を学ぶが、ナチスが政権を持つにつれて、反ナチスの運動に協力して、1941年にアメリカに亡命した。1951年に『全体主義の起源』を出版し、帰属や意識を失って孤立した大衆が、空想的な人種的イデオロギーに所属感を求め、全体主義の組織に吸収される過程を分析した。1961年には、イスラエルで元ナチスの親衛隊のアイヒマンの裁判を傍聴し、静かで平凡な人間がユダヤ人虐殺を遂行する指導者になったことに分析を行った。

ハンナアーレント

ハンナアーレント

ハンナアーレントの略年

1906 ハノーヴァー郊外のリンデンに出生する。
1924 各大学でヤスパースハイデガーらに哲学と神学を学ぶ(~29年)。
1928 ヤスパース指導のもと博士号取得する。
1933 ヒトラー政権が樹立。母マルタとともにフランスに亡命する。
1935 アメリカへ亡命する。
1951 『全体主義の起原』を刊行し、アメリカの市民権を取得した。
1958 『人間の条件』刊行する。
1963 シカゴ大学教授に就任する。
1968 ニュースクール-フォア-ソーシャルリサーチの教授に就任する。
1975 心臓発作によりニューヨークの自宅で死去。

ハンナアーレントの生涯

ドイツのハノーヴァーでユダヤ人の中産階級の家庭に生まれ、ケーニヒスベルクで育つ。幼い頃はユダヤ人という意識はなく社会との軋轢はなかった。マールブルク大学でハイデガーに、ハイデルベルク大学ではヤスパースに学び、『アウグスティヌスにおける愛の概念』で博士号取得する。ハイデガーとは半世紀に及ぶ情熱的な恋愛関係、そして友人関係をもった。ナチズムの台頭とヒトラーの政権掌握とともに、1933年にヒトラー内閣が成立すると、シオニストの活動を支援したとして逮捕される。、パリへの亡命を余儀なくした。1940年にフランスがドイツに降伏すると、1941年にニューヨークに亡命した。ニュースクール-フォア・ソーシャルリサーチなどで教鞭をとる一方、代表的論客として、活発な言論活動を亡くなるまで展開した。思想家としての名声は1951年に出版された『全体主義の起原』である。アーレントは、自ら経験した全体主義とそれを生み出した現代社会の病理を究明し、古代ギリシャポリス的な政治空間に、「活動」という人間的条件の復権の可能性を見いだした。

幼き日のハンナアーレント

幼き日のハンナアーレント

1-0.全体主義

全体主義は、ハンナ=アーレントの主要テーマで、社会のすべての領域を一元的に支配・統制し、全体(国家)を優先する政治思想をいう。もともと東側の国の人間がポジティブな意味で全体主義という名前を使ったが、次第に全体主義国の弊害が明らかになるにつれ、ネガティブな意味で使われるようになった。全体主義の社会では、独裁者への絶対的服従のもとに、国家優先のイデオロギーが強制され、思想的統一が徹底され、反自由主義・反民主主義・人種主義・排外主義などの政策がとられる。イタリアのファシズム、ドイツのナチズム、ソ連のスターリニズムに共通する支配体制である。
アーレントは、ナチズムにスターリンの独裁も含めて全体主義と呼び、全体主義を帰属意識を失ってアトム化され、孤立させられた個人からなる大衆組織と考えた。個人が共通の利益で結ばれた一定の階級や社会集団に属しているときは、その集団を代表する「政党を通じて公共的な政治に参加する。しかし、いかなる社会集団にも属さない大衆は、孤立して無力感にとらわれ、所属感を与えてくれる空想的な人種主義にひかれ、ファシズムのイデオロギーの虚構の世界にたやすく吸収される。所属感を持たないアトム化された大衆が、全体主義の発生の条件である。

1-1全体主義の特徴

  1. 1)世界観としての性格をもつ公式の「イデオロギー」。
  2. 2)国家体制を超える運動としての性格。
  3. 3)指導者による統合。
  4. 4)合法的・行政的な大量殺戮。

戦前の専制政治からわれわれが知る旧式の官僚制支配と全体主義支配との間の際立った相違の一つは、前者がその政治領域内に属する臣民の外的運命を支配するだけで満足し、精神生活まで掌中に収めようとはしなかったことである。全体主義的官僚制は絶対的権力の本質を一層よく理解し、市民のあらゆる問題を私的なものであれ公的なものであれ、精神的なものであれ外的なものであれ、同じ一貫性と残虐さをもって統制する術を心得ていた。その結果、古い官僚制支配のもとでは諸民族の政治的自発性と創造性が圧殺されたに止まったのに対し、全体主義支配は人間の活動のすべての領域における自発性と創造性を窒息させてしまった。政治的非創造性のあとに続いたのは全面的な不毛性だったのである。(『全体主義の起原』)

1-2反ユダヤ主義

反ユダヤ主義は19世紀に現れた思想であり、従来のユダヤ人憎悪と区別した。19世紀、ナポレオンの影響で国民国家ができ、またそれに応じるようにロスチャイルド家というユダヤ金融財閥が台頭、ヨーロッパ全土に金融ネットワークを作った。力をもったユダヤ人は国民国家の国民として権利をもったが、それまで差別の対象であったユダヤ人が異質として入ってくると、潜在的に同化させようという意識がもたれるようになった。ましてユダヤ人の経済活動が民族主義的・家族的コンツェルンとしてのイメージが強まると、ユダヤ人への憎悪は過剰に煽られることとなった。ここに反ユダヤ主義が生まれるようになる。

1-3メディアによる差別

メディアが反ユダヤ主義をあおるようになり、パリアという差別語がメディアに載るまでになった。ユダヤ人関係の冤罪事件や金融問題などが紙面になるようになると、ユダヤ人に対する陰謀論に結びつき、扇動家が反ユダヤ主義をあおったのでは無く、機運としてドイツ国民全体が盛り上がっていった。

1-4人種思想

帝国主義により西洋の列強が他国を植民地支配を行うようになると、未開な人たちとして差別するようになる。フランス革命以来、国民が政治の中心に立つ国家ができあがったが、植民地の人間まで権利を与えるわけにはいかなかった。国民国家が征服を行った場合は、同化し、同意を強制するしかないが、被征服者が同意するのは困難であり、支配装置としての差別の思想を作らなければならない。それが人種思想であった。白人は人種的に優れているという思想が使われるようになった。

ハンナーアレント

ハンナーアレント

1-5ドイツにおける人種思想

ドイツにおける人種思想は民族的ナショナリズムと通じる。ドイツはイギリスやフランスとは違いアフリカやアジアへの進出が遅れたため、ヨーロッパ内で植民地を持とうとする、大陸帝国主義を持つようになった。第一次世界大戦が終戦し、領土を失い、経済の崩壊に直面した。そのなかでドイツの復活を願う、民族的ナショナリズムが高まる基盤が作られた。

1-6第一次世界大戦後の難民問題

第一次世界大戦が終わると、ヨーロッパ中で法の保護下にない大量の難民を排出したが、彼らを保証する国民国家は存在しない、ことが露骨に明らかになる。啓蒙思想以来の法への信頼が没落してしまった。大量の難民が生まれた反面、国民国家は、国家意識・国民意識が高まることになり、国家は国家の利益を最大限にする意識が高くなってきた。

1-7民主主義国家

ワイマール憲法の成立は議会を中心にした民主主義国家ができるようになる。あらゆる国民が政治に参加するようになると、あまり政治に関心を持たない、人に任せにしがちな大衆が出現した。大衆は、どこにも組織に属せず方向性を見失う傾向にある。大衆はやがて政党政治を超えた世界全体の動きや思想を求めるようになるが、ナチスが虚構の期待や嘘の物語を提示すると大衆は全体主義運動が生まれるようになった。

1-8強制収容所

強制収容所は、死を無名化し、生を物質的な量として扱うようになった。ここにきてユダヤ人をドイツ社会の異端の人間という扱いから、ドイツ社会の外に追いやるようになる。食料や労働力の必要性の有無で人の数が左右されるようになった。人間扱いはされないようになり、虐殺の基盤になった。全体主義は強制収容所で頂点となる。

1-9アドルフ・アイヒマン

ユダヤ人を強制収容所に運送する責任者であったアイヒマンは、イスラエルで裁判にかけられることになった。ハンナアーレントはアイヒマンの裁判を傍聴するが、アイヒマンがどこにでもいる普通の人であったことに衝撃を受けた。アイヒマンは特別、反ユダヤ主義でもなかったにもかかわらず、また強制収容所で起ったことも知りながら、ユダヤ人を輸送する仕事を続けていた。アイヒマンは官僚としての義務や法律に従っただけであると弁明した。ハンナアーレントからみてアイヒマンの印象は、悪の権化という形ではなくむしろ陳腐で普通の人であった。自分の熱心な昇進欲しかなく、義務心のみで大量虐殺の一役を担っていた。アイヒマン裁判は罪で死刑になったが、アーレンとは政治において服従と支持は同じだとして、この判決を受け止めた。しかし、アイヒマンはどこにでも普通の人間の一人であり、誰もが悪になりうると結論づけた。

アドルフ・アイヒマン

アドルフ・アイヒマン

労働・仕事・活動

アーレントは古代ギリシアを例に、人間の活動を、労働(labor)・仕事(work)・活動(action)の三つに分けた。労働は生命を維持するために食糧をえる行為であり、、仕事は自然を加工してものを作る文か的活動である。活動は、労働や仕事以外の活動を離れて、私的利害の束縛から関係の無いところで、政治の公的な空間で自由に話し合う言語活動のことである。人間は、公共の場で相互に話し合って自己を表現し、協力することによって、個性や能力を自由に発揮でき、この市民による自由な「活動」こそ、公共的な政治空間としての役割(公共性)を担うものであるとした。

『全体主義の起源』

『全体主義の起源』(1951年)は、ナチズムとスターリニズムの社会を、全体主義として、展開、その発生とその原因について考察する。全体主義とは、自発的で、自律的な、共同性を支えるものすべてが失われた、総動員と規律化の徹底した体系という意味をもつが、不幸にもユダヤ人の強制収容所を究極の頂点として表出してしまう。