ニーチェのニヒリズム|むしろ獣類に帰ろうとするのか

ニーチェのニヒリズム

ニーチェは、ニヒリズム(虚無主義)を哲学的問題として扱った最初の哲学者であるといえる。ニーチェが生きた19世紀にはキリスト教の価値が没落し、産業革命と資本主義は単純労働と貧困を生みだした時代でもあった。ニーチェはその時代を「神の死」とよび、伝統的な価値観や道徳を息絶え、デカダンス(頽廃)に陥っているとする。こうした社会で個人個人は人生の目的や意味が失われるニヒリズム(虚無主義)が広まる。ニーチェは、ニヒリズム(虚無主義)の時代において、「神は死んだ」と叫び、キリスト教を退け、力への意志に基づく超人という新たな価値を提言した。これは神の支配に代わる人間の絶対的な主権を意味する。

「神は死んだ」

19世紀、ニーチェが生きた時代は、キリスト教の信仰の上に築かれた伝統的な価値観が崩壊した時代であった。ニーチェは「神は死んだ」という言葉の通り、キリスト教無き世界は、無目的で無価値なものであることが明らかになって、ここにニヒリズムが到来したのである。これは反キリスト者であることを意味し、キリスト教が説く超越的な真理や価値が、実は弱者が自己保存をはかるために虚構されたものであると主張することであった。

ルサンチマン(怨恨)

ルサンチマンとは、根み・怨恨を表すフランス語であるが、ニーチェは、この言葉を借りて、弱者がみずからの無力さゆえに強者を憎悪し、復讐しようとする心理を表した。キリスト教は、彼岸に宗教的な世界を構想し、そこへと弱者が救われると信じることによって、この世を支配する強者に復讐した。キリスト教の中心思想である『共感』、『平等』、『博愛』の根底には、弱者による強者への反感・嫉妬・憎悪をうちに抱えている。

奴隷道徳

ニーチェは、キリスト教に基づく道徳は、強者を妬まむ弱者の道徳、支配者に復讐しようとする奴隷の道徳であるとした。古代の高貴な支配者の勇敢さの徳を否定して、これにかえて共感や博愛、謙遜、従順、平和など弱者を正当化する道徳をその根底に持つ。ニーチェは奴隷道徳を退け、自己の奥底から湧き出る力を肯定し、これを賛美する支配者の道徳を、貴族道徳あるいは主人道徳と名付けた。

超人

ニーチェは、奴隷道徳を否定し、自己の、生の根源的な生命力を発揮する道徳を説いたが、そうした主体的に生きる人間を超人と名付けた。超人は、現在の自己を超えて、力強く成長する主体的で理想的な人間である。
神が死んだ世界で、信仰ではない、現実の中で新しい自分を見つめ直し、新しい価値の創造者とならなければならないと説いた。

神は死んだ、今やわれわれは超人が生きることを欲する

わたしはあなたがたに超人を教える。人間とは、乗りこえられるべきあるものである。あなた方は、人間を乗りこえるために、何をしたか。およそ生あるものはこれまで、おのれを乗りこえて、より高い何ものかを創ってきた。ところが、あなたがたはこの大きい潮の引き潮になろうとするのか。人間を乗りこえるより、むしろ獣類に帰ろうとするのか。
『ツァラトゥストラはこう語った』

ニーチェ

ニーチェ

精神の三様の変化

ニーチェは、人類の精神の進化を、ラクダ・ライオン・子どもの三つにたとえた。

  1. 重い荷物を背負うラクダの精神は、キリスト教の権威や伝統的な価値観が命じる「汝なすべし」という義務に服従する。
  2. 自由な精神を持つライオンは、「われ欲す」という意志に従って、自己を束縛する伝統的な価値観に反抗する。
  3. 無心に遊ぶ子どもは、おのずからころがる車輪のように、無意味なままに永遠に回帰する世界を肯定し、ありのままの無垢な存在の世界に遊ぶ。

力への意志(権力への意志)

力への意志とは、生命体本来の基づく、常に自己を超越・強化し、より強いものへ成長しようとする根源的な意志である。生命が有する意志は、絶えること無く、より強くなろうという意志をめざす。あらゆる抵抗を克服して破壊と創造を繰り返し、たえず自己を強化して向上させようとする生の積極的肯定である。ニーチェは、従来の伝統的な哲学を退け、生命がもつ力への意志を、世界や歴史の根源的な原理とし、ニヒリズムを脱出する原動力になり得るとした。

あらゆる生あるものは、力を求めて、力の増大を求めて努力する。快の感情とは、力が達成されたときの感情の一つのあらわれであり、(力が前よりも増大したという)差異の意識にすぎない

あらゆる力の中心から発するより強くなろうとする意欲、わがものとし、支配し、より以上のものとなり、より強いものになろうとする意欲が唯一の存在である。(『力への意志』)

能動的ニヒリズムと受動的ニヒリズム

受動的ニヒリズムとは、人生の意味を見失って、目の前の快楽や絶望に留まる態度を「受動的ニヒリズム」と呼んで退け、無意味な人生を無意味であり無価値としてその現実を直視しながらも、力への意志に従い、既成の価値観を破壊し、新しい価値や目的を設定する態度を能動的ニヒリズムと呼んだ。

価値の転倒

ニーチェの思想で、キリスト教に基づく伝統的な価値の序列をくつがえし、「力への意志」と呼ばれる根源的な生命力の強さに応じて、高貴なるものと低劣なるものとの本来の価値秩序を確立すること。ニーチェは、キリスト教道徳を弱者の立場を正当化するものと批判し、そのような善悪の対立をこえた立場を「善悪の彼岸」と呼んで、ありのままの自由で無垢な人間性を肯定し、「力への意志」に基づく新しい価値序列をとなえた。

永遠

永劫回帰

永遠回帰とは、世界は意味も目的もないまま、ただただ、円循環的な時間の中、永遠に繰り返すだけということである。ニヒリズムの極限の姿である。この悲惨な世界で喜びや苦悩を体験し続け、それを永遠に繰り返しうる運命に耐え無ければならない。しかし、それに悲観せず、永遠回帰をおのれのものとして愛さなければならず、それが超人のあり方である。

運命愛

たとえ永遠回帰、つまり、世界が無意味で無目的な永続的な繰り返しであろうとも、自己の運命を見つめ、それを自己のものとして愛を持って受け入れなければならない。運命を愛さなければならない。この運命の中に自己を投げ込むことによって、真の自己を取り戻すことができる。自己の運命を愛し、耐え抜くことで、運命に操られたり、反抗する次元を超えて、運命と一体となった高揚した生の境地に達することができる。

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