デロス同盟|アテネを中心に結成された対ペルシアの軍事同盟

デロス同盟

デロス同盟は、前478年頃結成した。ペルシアの再攻にそなえ、アテネを中心に結成された軍事同盟である最盛期にはエーゲ海周辺の約200のポリスが加盟したといわれる。本部はデロス島におかれた。加盟ポリスには、艦船・兵員が軍資金を提供する義務が課せられた。前454年以降は同盟の金庫がアテネに移され、アテネが他のポリスを支配する「アテネ帝国」に変質していった。

対ペルシア海上同盟

ペルシアと接する小アジア・エーゲ海にはアテネと同系のイオニア=ポリスが多いこともあって、アテネアリスティデス(?~前467以降)が中心となり、対ペルシア海上同盟が結ばれた(前478)。これが前身となり、後にデロス同盟と呼ばれるようになる。

デロス同盟

目的:ペルシアの脅威からポリスの独立を守る防衛同盟
参加数:参加したポリスは約200に達した
義務:艦隊と兵員の提供か貢納金の提供
本部:エーゲ海の中心のアポロン神殿のあるデロス島

アテネの地位

当初は、スパルタも有力視されていたポリスであったが、スパルタの将軍パウサニアスが横暴で他ポリスの反感は強く、結果、スパルタは指揮権を放棄した。一方、アテネは支持を集め、アテネが中心となって統括するようになる。アテネの将軍が同盟軍の指揮権をもち、金庫の10人の管財人もすべてアテネ人で、アテネの同盟盟主としての地位は明らかであった。アテネはデロス同盟を足がかりとしてエーゲ海全域に支配権をおよぼしていくことになる。

ペリクレス

ペリクレスは、前495頃~前429アテネ全盛期の指導者である。将軍としてデロス同盟の指導権を握って「アテネ帝国」を実現し、ギリシア民主政治を完成させた。またパルテン神殿の再建を指揮するなど、ペリクレス時代(前443~前429)を現出した。ペロポネソス戦争中に病死した。

アテネ帝国

同盟は実際にトラキアや黒海方面、エジプトに艦隊を送ってペルシア軍をおさえようとした。しかしエジプトで敗北し、金庫がアテネに移されたが、ここからアテネのエーゲ海の支配は強くなっていく。デロス同盟はしだいにアテネが他ポリスを支配する目的にすり替えられていった。ポリスがおさめる貢納金はアテネへの貢租にひとしくなり、アテネは同盟資金を自分たちのために流用するようになった。
そのため、デロス同盟から撤退するポリスも出てきたが、アテネは、離反したポリスには懲罰を加えた。加盟ポリスにはアテネの貨幣・度量衡を用いることを強制し、ポリス間の紛争はアテネの庭で裁くこととされた。アテネから各ポリスに駐留軍をおくこともあり、軍事的拠点にアテネの民市もつくられた。このように経済的、軍事的、司法的にもアテネの影響力は強くなっていく。