ディアドコイ|アレクサンドロス王の後継者争い,世界史

ディアドコイ

ディアドコイは、「後継者」の意味で、アレクサンドロス大王が急死したのち、その後継者をめざして、分立・抗争した有力部将たちのことをという。アレクサンドロス大王の帝国は、ヨーロッパ・アジア・アフリカの3大陸にまたがる大帝国であったが、そのためにアレクサンドロス大王が病気により急死すると、国家の統一は崩壊し始めた。大王に仕えた部将たちがディアドコイとして相互に争うようになり、大帝国は分裂するに至る。このときに武将たちで起った戦争をディアドコイ戦争という。

ディアドコイ戦争

ディアドコイ戦争は、後継者戦争と呼ばれ、前323年から約40年間も続いた。複雑な経緯を経てセレウコス朝シリアプトレマイオス朝エジプトアンティゴノス朝マケドニアの3王国に分かれて安定することになった。

ディアドコイ戦争の経緯

ディアドコイ戦争の経過は非常に複雑であるが、大きく2種のグループに大別される。小アジアのフリギア総督アンチゴノス1世および、その子であるデメトリオスの父子は、アレクサンドロス大王の長を継承して、マケドニアギリシアオリエントを統一した帝国を建設しようと努めた。一方、エジプト総督プトレマイオス1世や、バビロン総督セレウコス1世は、自己の領土内だけの支配権を確立しようとし、同盟を結ぶ。アンチゴノスは彼らに屈し、それぞれの領土で王国を建てた。アンチゴノスの系アンチゴノス2世は、前276年、マケドニア王に即位し、3王国鼎立の時代が始まった。

イプソスの戦い

前301年、イプソスの戦いは、小アジア西部で行われたディアドコイ戦争であったが、アレクサンドロス大王帝国の分裂が決定的となった。

代表的なディアドコイ

  • アンチゴノス1世
  • デメトリオス1世(アンチゴノス1世の子)
  • アンチパトロス
  • カサンドロス(アンチパトロスの子)
  • プトレマイオス1世ソテル
  • セレウコス1世
  • エウメネス
  • リュシマコス

アンティゴノス朝マケドニア

アンチゴノス朝マケドニアは本国と小アジアの一部とギリシアを支配したが、ギリシアではアカイア同盟・アイトリア同盟などの新興都市連合の勢力が活発になり、反マケドニア運動を続けた。

セレウコス朝シリア

セレウコス朝シリアは小アジアの過半とそれより東の広大な地域を支配したが、バクトリア・ソグディアナはまもなく独立し、ペルシア系のパルティアが前3世紀半ばにやはり独立するなど、その領域は縮小し、国家の制度も整わなかった。しかしアンティオキアやドゥラ=エウロポスなどのギリシア人の都市が文化の中心となった。

プトレマイオス朝エジプト

プトレマイオス朝エジプト古代エジプトの伝統的な中央集権的支配と官僚制を受け継ぎ、穀物・塩・パピルスなどの取り引きを国家が独占して経済的繁栄を成し遂げた。首都アレクサンドリアは政治と文化の中心地として重要性を増し、アレクサンドロス大王が夢見たギリシア人とギリシア文化がここで融合されることになる。