ゾロアスター
ゾロアスターは古代イランにおいてゾロアスター教(拝火教)の思想を打ち立てた宗教的指導者である。現存する史料ではアヴェスター語の名「ザラスシュトラ(Zarathustra)」とも呼ばれ、善悪二元論の教義を唱えた点で後世の諸宗教に多大な影響を与えた。善神アフラ・マズダと悪神アーリマンの対立を通して、人間が正しき行い(アシャ)を選択する重要性を説き、光と火を神聖視する信仰様式を確立した。古代から中世にかけてイラン周辺だけでなく、シルクロードを通じて各地に教義が伝播し、ゾロアスター教徒たちの移住先でも祭儀や風習が継承されてきた。
誕生と活動時代
ゾロアスターの生誕時期ははっきりしないが、紀元前1000年頃から紀元前6世紀頃まで幅広く推定される。伝承によれば、彼は農耕社会の慣習や多神教的祭祀に疑問を抱き、神秘的体験を通じて唯一神アフラ・マズダの啓示を受けたという。そこから改革運動を開始し、従来の司祭階級と対立を深めながら自らの教えを広めようと努めた。伝承の多くは後世の書物や口承に依拠しており、歴史的事実との区別が難しいが、当時のイラン高原社会における宗教観を大きく変えたことは確かである。
教義とアヴェスター
ゾロアスターの教えは善なるアフラ・マズダを唯一絶対の神とみなし、その対極にある悪の勢力アーリマンとの戦いを重視する。人間は自由意志によって善を行い、宇宙秩序(アシャ)を守る義務があると説かれた。これらの教えはゾロアスター教の聖典『アヴェスター』にまとめられ、ガーサーと呼ばれる詩形の部分は彼自身が歌った教説と伝えられる。善悪の二元論や最後の審判の概念など、後のユダヤ教、キリスト教、イスラームにも影響を及ぼしたとされる。
火の神聖視
- 祭儀では聖火を中心として祈りを捧げる。
- 火は善なる光を象徴し、儀式用の火は不浄なものから厳格に護られる。
- 中世以降は「拝火教」とも呼ばれるようになった。
サーサーン朝と拡大
イラン高原で強大な勢力を築いたサーサーン朝(224-651年)は、ゾロアスターの教えを国教として制度化した。王権の正統性はアフラ・マズダの庇護下にあるとされ、王と司祭団が一体となって国家統合を図った。行政機構にも宗教儀礼が深く浸透し、各地に火の神殿が建設されるなど、信仰面の整備が進められた。一方で、異教徒や異端とされた勢力への弾圧も行われたため、宗教的寛容の面では課題も残したといえる。
イスラーム時代の変遷
7世紀のイスラーム勢力によるイラン征服に伴い、ゾロアスターの教えは次第に衰退し、公的な場からは追いやられた。しかし一部の信徒たちは地方に残留し、風習や信仰を守り続ける道を選んだ。また、インド西部グジャラート地方へ移住した「パールシー」のコミュニティは比較的自由な環境で信仰生活を継続し、火の神殿を維持しながら豊かな伝統文化を育んだ。こうしたディアスポラの存在が、ゾロアスター教を現代へつなぐ重要な要素となっている。
教義の特色と倫理観
ゾロアスターの教えは、人間が常に善なる行いと言葉、思考を選び、社会全体の調和に貢献することを強調する。これを「善き思い」「善き言葉」「善き行い」という三要素に集約して伝える場合が多い。宇宙規模の善悪の戦いにおいて、個々人の具体的な生活態度が大きく影響すると考えられており、日常的な清浄観念や動物を大切に扱う風習など、社会倫理の根幹となる教訓が随所に盛り込まれている。
現代のゾロアスター教徒
21世紀現在、ゾロアスターを信奉するコミュニティはイラン国内やインドのパールシー集団、その他ディアスポラの少数派として存続している。数は決して多くはないが、伝統行事や祭礼を厳格に守り、歴史や文化的アイデンティティを大切にしている。近年では世界中の研究者や一般市民の関心も高まり、火の神殿の見学や儀式の取材を通じてゾロアスター教文化の再評価や理解促進が進んでいる。
学術研究と意義
近代におけるインド・ヨーロッパ語族や比較宗教学の研究によって、ゾロアスターの教義は大きな注目を集めた。古代イラン語(アヴェスター語)の文献を通じてインド・ヨーロッパ系の宗教思想がどのように変容し、善悪二元論などの新しい概念を取り込んだのかが明らかになった。これにより世界各地の宗教史や文化交流のプロセスが再検証され、古代西アジアと南アジア、さらにはヨーロッパにも及ぶ広範な視座が確立されている。