ソクラテスの死|哲学,倫理

ソクラテスの死

ソクラテスは、「国家の神がみを認めず、青少年を惑誌わせた」という理由で訴えられ、裁判にかけられた。その背景には、政治の堕落へのソクラテスのきびしい批判が、権力者たちに危険視されたことや、アテネを裏切ったアルキビアデスや恐怖政治を行ったクリティアスがかつてソクラテスと交際があったことなどがある。ソクラテスは、裁判で命ごいをするどころか、市民の道徳的な堕落をきびしく批判したために陪審員の心証を悪くし、死刑の評決がくだされた。ソクラテスは国外への逃亡をすすめる友人たちの申し出を断り、国法に従ってみずから毒杯を仰いで刑死した。

ソクラテス裁判

紀元前406年、職務怠慢のために告発される可能性のあった8人の司令官をともに裁判にかけよという欲求に対して、アテナイの法律に反することを盾に断固として拒んだ。さらに二年後、政権を奪取した三十人委員会と呼ばれる集団と共謀することを拒み、著名な市民への迫害を拒む。その後、三十人委員会は権力を失ったが、紀元前400年、盛り返した民主主義政権によって法廷に引き出され、国家の神を信じず青年たちを堕落させた罪によって死刑を命じられることによう。

亡命の誘い

ソクラテスを告発した人々は、当時の法律に照らしても死刑が不当なものであることが明らかであり、刑を逃れるために外国への逃亡をするだろうと思っていた。実際にソクラテスにはその機会が与えられていた。また、ソクラテスの友人たちは亡命の準備を整え、最後まで渋るソクラテスを説得したが、悪法もまた法でありとして、ケベスとシミアスという二人の友人と魂の死について論じたあと、ドクニンジンの毒杯を飲み、死を迎える。この死をもってソクラテス自身の正義、国家、法、勇気、魂、道徳などの議論を証明した。