ストックホルム条約
ストックホルム条約は、正式名称を「残留性有機汚染物質に関するストックホルム条約」といい、分解されにくく、生物の体内に蓄積し、国境を越えて遠くまで運ばれる化学物質について、製造・使用・排出を国際的に規制する多国間環境協定である。2001年5月22日にスウェーデンのストックホルムで採択され、2004年5月17日に発効した。規制の対象となる物質群は残留性有機汚染物質(Persistent Organic Pollutants:POPs)と総称されるため、日本では「POPs条約」の名でも知られる。締約国は180を超え、日本は2002年8月に加入している。
北極圏の汚染が条約の出発点となった経緯
1980年代後半から1990年代にかけて、農薬をほとんど使っていない北極圏のイヌイットの母乳やアザラシの脂肪から、DDTやPCBが高濃度で検出された。低緯度の地域で揮発した化学物質が大気に乗って移動し、寒冷地で凝縮して沈着する「グラスホッパー効果」によるものと考えられている。一国の規制だけでは防げない汚染であることがはっきりしたため、国連環境計画(UNEP)は1995年に12物質を対象とした国際的な取り組みを決め、1998年から2000年にかけて計5回の政府間交渉会合が開かれた。こうして最初に指定された12物質は「ダーティ・ダズン(汚い12物質)」と呼ばれる。
- 農薬・殺虫剤:アルドリン、ディルドリン、エンドリン、クロルデン、ヘプタクロル、マイレックス、トキサフェン、DDT
- 工業用化学物質:PCB、ヘキサクロロベンゼン(HCB)
- 非意図的生成物:ポリ塩化ジベンゾ-パラ-ダイオキシン(PCDD)、ポリ塩化ジベンゾフラン(PCDF)
- HCBとPCBは、燃焼などで意図せずにできる物質としても規制されている
3つの附属書で分けられた規制
条約は、物質ごとの性質や使われ方に合わせて、規制の強さを附属書で分けている。代わりの物質がない用途には「個別の適用除外」が認められ、締約国が登録すれば期限付きで使い続けることができる。マラリア対策のDDTのように、公衆衛生上どうしても必要な用途が残っている物質は附属書Bに入れられている。
| 附属書 | 規制内容 | 主な対象物質 |
|---|---|---|
| 附属書A | 製造・使用・輸出入の廃絶 | アルドリン、PCB、PFOA、PFHxS、ヘキサブロモシクロドデカン(HBCD)など |
| 附属書B | 製造・使用の制限 | DDT、PFOSとその塩など |
| 附属書C | 非意図的生成物の排出削減 | ダイオキシン類、HCB、ペンタクロロベンゼン、ポリ塩化ナフタレンなど |
新しい物質が追加されるまでの手順
物質の追加は、締約国からの提案をもとに、専門家でつくる残留性有機汚染物質検討委員会(POPRC)が3段階で審査する。まず附属書Dの基準でふるい分けを行う。基準は、水中での半減期が2か月を超えること、土壌や底質中での半減期が6か月を超えること、生物濃縮係数(BCF)が5,000を超えるかオクタノール/水分配係数(log Kow)が5を超えることなどである。続いて附属書Eに沿ってリスクプロファイルを作り、附属書Fに沿って代わりの物質や社会経済的な影響を含むリスク管理評価をまとめる。POPRCが勧告すると締約国会議(COP)で採否が決まり、改正内容は条約事務局からの通報後1年で効力を持つ。審査には通常3〜5年かかる。
追加物質の移り変わり
2009年の第4回締約国会議(COP4)以降、対象物質は少しずつ増え、2025年時点で30を超える物質群が登録されている。初めは農薬が中心だったが、近年は難燃剤やフッ素化合物など、工業製品に使われる物質が多くなっている。
| 年(会議) | 追加された主な物質 | 主な用途 |
|---|---|---|
| 2009年(COP4) | PFOS、ペンタ・オクタブロモジフェニルエーテル、リンデンなど9物質 | 撥水剤、難燃剤、殺虫剤 |
| 2013年(COP6) | HBCD | 発泡スチロール断熱材の難燃剤 |
| 2017年(COP8) | デカブロモジフェニルエーテル、短鎖塩素化パラフィン(SCCP) | 樹脂難燃剤、金属加工油 |
| 2019年(COP9) | PFOA、ジコホル | フッ素樹脂製造助剤、農薬 |
| 2022年(COP10) | PFHxS | 泡消火薬剤、撥水剤 |
| 2023年(COP11) | デクロランプラス、UV-328、メトキシクロル | 難燃剤、紫外線吸収剤 |
| 2025年(COP12) | クロルピリホス、中鎖塩素化パラフィン(MCCP)、長鎖ペルフルオロカルボン酸(LC-PFCA) | 殺虫剤、金属加工油、撥水撥油剤 |
製造現場で起きている変化
新しい物質が附属書Aに入ると、部品メーカーや素材メーカーは原料・副資材の切り替えを迫られる。特に影響が大きいのは、加工油、樹脂の添加剤、表面処理剤の3つの分野である。
金属加工油剤と中鎖塩素化パラフィン
COP12で廃絶が決まったMCCPは、炭素数14〜17で塩素の含有量が45重量%以上のものを指す。金属加工油の極圧添加剤として、ステンレスの深絞りやブローチ加工、タップ加工のような負荷の大きい工程で長く使われてきた。2017年に炭素数10〜13のSCCPが規制された際、多くの油剤メーカーは炭素鎖の長いMCCPに切り替えた経緯があり、今回は塩素系そのものから離れる必要がある。現場では硫黄系やリン系の添加剤を使った非塩素油への切り替えが進んでいるが、難削材では工具寿命が短くなったり仕上げ面が粗くなったりする例もある。そのため、切り替え前に試し加工で工具の摩耗量を確かめておくのが一般的である。油剤の単価も上がりやすいため、購買部門は工具費を含めたトータルコストで比べることが多い。
フッ素化合物と半導体関連部材
PFOS、PFOA、PFHxS、LC-PFCAはいずれもPFASに含まれる物質群である。PFOAはPTFEを乳化重合で作るときの助剤として、世界中のフッ素樹脂メーカーが使っていた。LC-PFCAについては、半導体の交換部品や、量産をやめた自動車の補修部品などに適用除外が認められ、製品の耐用年数が終わるか2041年のどちらか早いほうまで使い続けられる。それでも新しい設計では使えないため、電子部品メーカーは取引先から含有調査票の提出を求められる機会が増えている。
PCBを含む電気機器
PCBは絶縁性と耐熱性に優れていたため、変圧器やコンデンサの絶縁油として大量に使われた。条約では、PCBを含む機器の使用を2025年までにやめ、2028年までに環境上適正な管理を行うことを求めている。日本では高濃度PCB廃棄物の処理がすでに終わり、低濃度PCB廃棄物は2027年3月31日が処理期限とされている。古い工場の受変電設備には、銘板だけではPCBが入っているかどうか判断できない機器もあり、絶縁油を採取して分析しなければ確定できない点に注意したい。
日本の国内法での担保
日本は、条約の義務を既存の法律や新しい法律で実施している。附属書Aに入った物質は、化審法(化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律、1973年制定)の第一種特定化学物質に指定され、製造・輸入は原則として禁止される。COP12の3物質についても、2025年6月の審議会を経て、2026年にかけて指定や輸入禁止製品の指定の手続きが進められた。非意図的生成物については、1999年制定のダイオキシン類対策特別措置法が排出基準を定めている。廃棄物焼却炉では、燃焼温度を800℃以上に保ち、排ガスをおよそ200℃以下まで急に冷やすことで、ダイオキシンが再びできるのを抑える運転が標準になっている。PCBについては2001年にPCB特別措置法が制定され、中間貯蔵・環境安全事業株式会社(JESCO)の拠点で化学的な分解処理が行われた。
バーゼル条約・ロッテルダム条約との連携
化学物質と廃棄物を扱う国際的な枠組みとしては、有害廃棄物の国境を越える移動を規制するバーゼル条約や、有害化学物質の輸出に事前同意の手続きを求めるロッテルダム条約もある。この2つとストックホルム条約は、頭文字をとって「BRS条約」と呼ばれ、事務局を共同で運営し、締約国会議も同じ時期に開かれる。2025年4月28日から5月9日にジュネーブで合同会議が開かれ、次の会合は2027年4月にパナマで開かれる予定である。POPsを含む廃棄物をどう処理するかはバーゼル条約の技術ガイドラインで決められ、「低POP含有量」の基準値もここで議論される。廃プラスチックや使用済みの電子機器を輸出入する事業者は、2つの条約の規定を合わせて確認しておく必要がある。
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