ジョージ・H・W・ブッシュ|第41代アメリカ合衆国大統領

ジョージ・H・W・ブッシュ

ジョージ・ハーバート・ウォーカー・ブッシュ(George Herbert Walker Bush)は第41代アメリカ合衆国大統領であり、1989年から1993年までの任期中、冷戦終結や湾岸戦争など多くの重要な国際問題に対応した。彼はレーガン政権の副大統領を経て大統領に就任し、冷戦後のアメリカ外交を主導した。内政では「小さな政府」を掲げたが、財政赤字の解消には失敗し、1992年の大統領選挙でビル・クリントンに敗北した。

生い立ちと政治キャリア

ジョージ・ブッシュは1924年に生まれ、イェール大学を卒業後、石油事業で成功を収めた。1966年に共和党から下院議員に選出され、その後国連大使、中国連絡事務所長、CIA長官などを歴任した。1981年から1989年までレーガン政権下で副大統領を務め、1989年に大統領に就任した。

内政と経済政策

ブッシュ政権はレーガン政権の新保守主義と新自由主義を継承し、「小さな政府」を掲げ財政赤字の解消に努めたが、民主党が多数を占める議会との対立もあり、成果は限定的だった。湾岸戦争後、経済の悪化が続き、1992年の大統領選挙ではビル・クリントンに敗北した。

冷戦終結と東欧革命

ブッシュの大統領任期中、1989年の東欧革命が起こり、東ヨーロッパの社会主義国が次々とソ連圏から離脱した。同年末、ゴルバチョフとマルタ会談を行い、冷戦の終結を宣言した。また、1990年の東西ドイツ統一、1991年のソ連解体などが続き、冷戦時代は急速に終焉を迎えた。

湾岸戦争

1990年、イラクのサダム・フセインがクウェートに侵攻すると、ブッシュは国連に働きかけて軍事制裁を決意し、湾岸戦争に踏み切った。アメリカを中心とした多国籍軍はクウェートを解放し、イラクに対して勝利を収めたが、サダム・フセイン政権の完全な崩壊には至らなかった。

パナマ侵攻

1989年末、ブッシュはパナマのノリエガ将軍を麻薬取引などの不正行為で逮捕するため、軍事侵攻を実行した。この行動は、アメリカの強硬な外交姿勢を示すものであり、「世界の警察」としての役割を果たす意思を明確にした。

対日関係

対日関係では、双子の赤字解消を背景に日米構造協議で農産物の輸入自由化を求め、自動車産業の対米輸出を規制するなど、保護貿易主義を取った。この政策は日本国内で反発を招き、後に年次改革要望書の作成につながった。また、湾岸戦争における自衛隊派遣問題でも対立があった。

対中関係

対中関係では、天安門事件後に経済制裁を行ったが、議会と対立しつつ最恵国待遇を更新するなど制裁全面化には消極的だった。ゴルバチョフとのマルタ会談では、中国に対して経済関係を断ち切らないように尽力する姿勢を示し、中国の最高指導者である鄧小平との関係を維持した。

家族とその後の政治

ジョージ・H・W・ブッシュの長男、ジョージ・W・ブッシュは2001年に第43代大統領となり、9.11事件やイラク戦争などの重要な出来事に直面した。また、次男のジェブ・ブッシュはフロリダ州知事を務め、一時は大統領選挙を目指した。

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