オウム真理教
オウム真理教は、1984年に麻原彰晃(本名:松本智津夫)によって創立された日本の新興宗教である。1980年代後半から1990年代にかけて、急速に信者を増やし、社会的に大きな注目を浴びた。しかし、その活動は次第に過激化し、1995年の地下鉄サリン事件をはじめ、一連の殺人・破壊活動を行った。多くの犠牲者が出ただけでなく、戦後最大のテロ事件として世界中で注目を浴びた。
歴史
オウム真理教は、当初はヨーガや瞑想、精神的な修行を主とする団体として設立された。麻原彰晃は、1980年代に自身の宗教的な体験や啓示を基に、独自の宗教理論を構築し、教団の指導者としての地位を確立した。教団の名称「オウム」は、サンスクリット語で「宇宙の根源」を意味し、真理教は「真理を教える教団」という意味を持つ。
宗教法人の獲得
1989年に宗教法人格を取得し、正式に宗教団体として認められた。オウム真理教は、多くの信者を獲得し、勢力を拡大させていく。最盛期には信者が1万人を超えたといわれている。信者は主に若年層や高学歴層であり、科学技術や医療の専門知識を持つ者も多かった。教団は高度な技術を用いた活動やメディアを通じた宣伝活動を展開した。
教義
オウム真理教教の教義は、仏教、ヒンドゥー教、キリスト教など、様々な宗教の要素を取り入れたものであり、麻原彰晃の個人的な解釈や啓示が強く反映されていた。特にハルマゲドンと呼ばれる終末思想や、修行によって超能力を得ることができるという教えが強調された。信者は厳しい修行や戒律を守ることで「解脱」や「救済」を目指すとされた。社会活動として福祉事業、環境保護活動、経済活動から学生サークルまで、積極的に外部との関係を持ち、信者獲得に動いた。
軍事活動
軍事的な訓練や化学兵器の開発など、違法かつ危険な活動が行われていた。この武装化は、核兵器といった無謀なものもあったが、自動小銃の密輸やサリンの製造なども手掛けた。のちに地下鉄サリン事件を起こした。
坂本一家殺人事件
1989年11月4日、オウム真理教を批判していた坂本弁護士とその家族を殺した坂本一家殺人事件が起こる。TBSがリークを行ったとされる。新実知光が妻を、中川智正が1歳の長男を殺害した。
松本サリン事件
1994年6月27日、長野県松本市で、松本サリン事件が起こる。松本市の駐車場で神経ガスのサリンを加熱し、気化させて散布した。これによりサリン中毒で8人が死亡、143人が負傷した。
地下鉄サリン事件
1995年3月20日、オウム真理教のメンバーによって実行された地下鉄サリン事件は、日本国内外に大きな衝撃を与えた。この事件では、東京の地下鉄車内に猛毒のサリンガスが散布され、13名が死亡、6000名以上が負傷するという大惨事となった。事件の背後には、教団内部の権力闘争や、外部からの圧力に対する反発があったとされる。サリン製造の中心は、遠藤誠一、中川智正、土谷正実であった。井上嘉浩が現場の調整役を務め、新実知光が運転手を務めた。事件後、麻原彰晃を始めとする教団幹部は逮捕され、教団の活動は急速に収束していった。麻原は死刑判決を受け、他の幹部も厳しい刑罰が科された。オウム真理教は解散を行ったが、アレフや光の輪として一部の信者が活動を続けている。
教団解体とその後
オウム真理教の解散後、アレフや光の輪といった新たな団体が活動を続けている。これらの団体は、かつてのオウム真理教の教義や指導者の影響を受けているものの、公式には麻原彰晃との関係を否定している。しかし、社会的な監視や規制は依然として厳しいものの信者は増加傾向にあると言われている。オウム真理教の犯罪行為によって被害を受けた人々やその家族への補償問題も長期にわたって続いている。事件の教訓として、宗教団体に対する監視の強化や、社会的な孤立を防ぐための対策が求められるようになった。
死刑執行
2024年8月7日、松本智津夫、早川紀代秀、井上嘉浩、新実知光、土谷正実、中川智正、遠藤誠一の死刑が執行された。