デジデリウス・エラスムス

デジデリウス・エラスムス Desiderius Erasmus 1466-1536

エラスムスは、ルネサンスのオランダ・ロッテルダム出身の人文主義者。主著は『愚神礼讃』(ぐしんらいさん)、『平和の訴え』。イギリスのトマス・モア、ドイツのロイヒリンなどとともに宗教改革を進めた。オランダのデーフェンテルで共同生活兄弟会の修道士たちによってキリストの生活と教えを受けた。また当時、『キリストに倣いて』書いたトマス・ア・ケンピスの影響を受けている。1488年、ステインのアウグスティノ在俗修道司祭会修道院に入る。この頃には、エラスムスはパンフレット『反蛮族論』を書き始める他、無数のラテン詩を書き、ロレンツォ・ヴァルラの作品に熱中した。多くのヨーロッパの各地を遍歴して、古典文学を研究し、また、ギリシア語を学んで聖書や教父の著作の校訂に打ちこんだ。フランスでは、聖書の研究と同様の神学教育とカトリック教会の倫理を学んだジョン・コレットと出会い、イギリスでは、トマス=モアに出会って友人となった。両者ともエラスムスの思想に大きな影響を与えている。聖書研究と人文主義的教養のもとにキリスト教の本来の精神をとらえようとし、腐敗したカトリック教会を痛烈に批判したが、その一方でルターが開いた宗教改革の熱狂には批判的な態度をとっている。カトリック教徒から見れば背教者であったが、違う方面から見れば、むしろ、宗教と学問との調和に努め、キリスト教の回復・維持を目指したといえる。キリスト教的な精神世界にとどまりながら、その博愛の精神と、人文主義的な教養に基づくコスモポリタン(世界市民)の立場から、キリスト教国家の和合と平和を訴えた。

エラスムス

エラスムス

エラスムスの著書

1500年『格言集』を出版
1503年『キリスト教徒兵士提要』
1511年『愚神礼讃』(ぐしんらいさん)
1524年『自由意志論』
1526年『奴隷意志論』

『格言集』

1500年にパリにて『格言集』を出版する。838の古代の格言を収録したもの。エラスムスはこれらの格言の大部分に短い注釈を付け加え、その後も増補を続け、1508年には3260、1553年になって完成した。この書物は16世紀のヨーロッパに大きな影響を与え、多くの作家や学者にとって古典の参考書ともいうべき名書となった。ルネサンスの発明品である印刷術を利用した最初の書となったといえる。

『キリスト教徒兵士提要』

エラスムスは、『キリスト教徒兵士提要』を書きキリスト教の信仰は、律修聖職者と教区付聖職者が専有するものではなく、キリスト教徒なら誰もが信仰することができるとした。エラスムスは各人にすべての注意をキリストの上に、そしてキリストのみに注がなくてはならない。キリストの教え通り、現世に背を向け、富と栄光と名誉を軽蔑し、神の精神に心を開き、神から霊感を受けるべきである。こうして真のキリスト教徒になり、福音書の文字面にこだわるのではなく、そこに隠れている精神を探るべきである。そしてキリスト以外のなにものも望むべきではない。人間生活の唯一の目的であり、それに比べれば、それ以外は大したことはない。学問はキリストへの愛に導くことにおいて重要である。多くの知を求めるよりも、少ない知であれど、大きな愛があるべきほうがよい。キリストを愛することは、福音書のなかにのみ含まれている。新約聖書のテクストを絶対視すべきであり、一言一句が決定的な価値をもっている。

『愚神礼讃』(ぐしんらいさん)エラスムス

『愚神礼讃』は、1509年にエラスムスがロンドンを訪れ、旅行中一週間程度といった短い期間で書き上げた風刺。友人トマス・モアに捧げる書。不毛な議論にふける進学者、政治や軍事に夢中になる教皇、氏名を忘れた教会関係、多くの弊害をもつ修道院制度などとりわけキリスト教教会を批判的に扱う。エラスムスの死後にも批判は長く続いた。諷刺文学としては、「痴愚」「狂気」を表す女神モリアーが、聴衆を前にして自分の力で人間社会に、どれほどたくさんの「痴愚」や「狂気」を生ぜしめたかということを誇らしく述べて、自画自賛するという内容で、王、貴族、聖職者、神学者、哲学者を正面からこけおろした。当時、庶民の間ではベストセラーとなり、宗教改革に大きな影響を与えた。

1542年 パリ大学神学部が、『愚神礼讃』(ぐしんらいさん)を禁断書に指定
1554年 ユリウス三世教皇が禁断書と指定
1558年 パウルス四世教皇は、エラスムスを第一級の異端者と非難。

他のいかなる阿呆でも、キリスト教への篤い信仰に全霊をささげてとらえられた人たちほど、狂った真似はいたしますまい。

人々が苦心惨憺して探し求めているキリスト教の幸福とは、一種の狂気と痴愚にほかならないのです