エポケー
エポケーは現象学の用語で、判断中止の意味で、事実についての判断を差し控え、事実をあるがままに受け入れることをいう。フッサールは、世界がそれ自体で実在するという日常的な自然的態度を反省し、世界の実在についての判断を括弧に入れて停止し、自我の純粋な意識の領域を取り出す方法論である。
懐疑主義者ピュロン
古代の懐疑主義者ピュロンは、ものごとを見あやまる誤謬の根源は「・・・である」と断定してしまう判断(エポケー)にあり、人間の心の動揺もそこから生まれてくると考えた。誤謬を避けて心の平静を保つためには、何ごとについても判断をさしひかえなければならない。ピュロンは「いかに生きるべきか」という意味合いが強かったが、フッサールはここから着想を得た。
エポケー
フッサールはピュロンの懐疑論を借りて現象学的考察の基本方法においた。日常生活において自明なことのように思われている事実も誤謬が生まれるかもしれない。フッサールは、世界とその中にある存在者は、自分の経験にかかわりなく、それ自体で存在しているということでさえ、フあえて反省の目を向け、エポケー(判断中止)することから、その思索を始めた。
現象学的エポケー
フッサールは、事実を無批判に断定してしまう態度を自然的態度とよぶ。日常生活において暗黙のうちに前提されているこの態度を主題化し、哲学的な反省を加えるためには、自然的態度をいったん留保して、そこから距離をとらねばならない。このような意図のために方法上の手続きとして現象学的エポケーを用いた。
現象学の方法上の出発点
これは、フッサールの現象学の方法上の出発点である。現象学は現象学的エポケーと現象額的還元の中で行われている。この方法論こそが超越論的・現象学的態度であり、現象学の考察はこの態度の中で営まれている。