イスラム教の歴史|ムハンマドによるイスラム教の創始

イスラム教の歴史

イスラム教は、ムハンマドによって創始された。アラビア半島では土着の宗教が信仰されていたが、貧富の拡大に伴い、多くの民衆が苦しんでいた中でイスラム教は身分をこえた平等を説いたため、急速に広まるようになった。また宗教的寛容さと軍事力を背景とした進出により、急速に広まり、世界宗教と呼ばれるまで成長した。ムハンマドの死後のイスラム教は、正統カリフの時代、ウマイヤ朝アッバース朝と様々な政治的遍歴をたどる。

『コーラン』

『コーラン』

アラビア半島の風土

イスラム教はアラビア半島で起こったが、降水の乏しい砂漠地帯で、点在するオアシスが遊牧地として利用されただけの土地であった。住民はセム族であるが、少なくとも7世紀頃までは、砂漠や山脈の地形のため国家は持たなかった。

ムハンマド

アラビア半島において、7世紀以前から、紅海沿岸のイエメン地方が繁栄の中心であった。ササン朝ペルシアが興った3世紀ごろには東西交通の要として陸路が発展し、イランからシリアを経由して交易が盛んであった。その後、ササン朝ペルシアとビザンツ帝国との抗争のためこの陸路は途絶えるが、代わってインド洋から紅海をへてエジプトに出て、パレスティナを通って地中海に出る海路が盛んとなった。

貧富の差の拡大

アラビア半島の交易が活発化するにつれ、一部の豪商が貿易の利益を独占するようになる。大多数の民衆は貧困層となり、貧富の差は拡大した。

メッカ

メッカは6世紀頃に海路の中継貿易地点として、経済的繁栄を成し遂げたが、古くから、すでに信仰の中心として知られ、カーバ神殿が存在していた。町の内外の各氏族がもつ御神体が合祀され(その多くは石で、多神教であった)、祭礼期には各地から参詣人が集まって市が開かれていた。

イスラム世界

イスラム世界

ムハンマド

ムハンマドは、メッカで祭祀をつかさどっていたクライシュ族に属し、6世紀後半、メッカに生まれた。

少年期

ムハンマドは少年時代から隊商に加わって各地を旅行し、その間にユダヤ教キリスト教の教義を知って強く心をひかれた。クライシュ族は多神教の宗教を信仰していたことに対し、この一神教の影響を受けて、イスラム教に発展したといわれる。このときに当時のクライシュ族の偶像崇拝に嫌悪を抱いたとも言われている。

貧富の拡大

豪商が利益を独占して民衆がつねに悲惨な生活状態に置かれている社会の矛盾を感じ、民衆の救済を志すようになった。

イスラム教の開祖

ムハンマドは、長い宗教的思索にふけったのち、40歳のころ、唯一神アッラーの啓示を聞き、みずから、神の遣わした最後の最もすぐれた預言者であると称して、イスラム教を興した。

イスラム教の特徴

偶像崇拝を禁止
預言者信仰(聖職者の禁止)
アッラー(一神教)
聖典『コーラン』

ヒジュラ

ムハンマドは、すべての人間に対する救いの平等を説いた。貧困層の人々や社会正義に燃えた若者の支持を得たが、従来の宗教を信じ、富裕層であったメッカの有力者は反感を抱くことになる。622年、ムハンマドは、有力者らの迫害を逃れて信徒とともにメディナに移り、そこで共同体(ウンマ)を建設した。この事件をヒジュラ(聖遷)と呼いう。

イスラム暦

ヒジュラは、ムハンマドの偉大な生活の転機となると同時に、イスラム教の起源の年ともなった。イスラム暦ではムハンマドが亡命したヒジュラの622年を紀元元年とする。

イスラム教

イスラム教

アラビア半島の統一

632年以後、イスラム教は教団として成長し、ムハンマドは宗教・政治・軍事の指導者として、メディナを中心に勢力を伸ばした。やがて自分たちを追い出したメッカの政敵を倒し、カーバ神殿から偶像を一掃して、ここをイスラム教の聖地とした。こうしてアラビア半島の大部分の統一を実現し、さらにシリア遠征に向かおうとして病死した。

コーラン

ムハンマドが死んで2年後、ムハンマドが説いた教えは『コーラン』としてまとめられ、のち改編をへて651年に完成し、信徒の信仰と行為の規範となって現在にいたっている。