アーリヤ人
アーリヤ人は、インド=ヨーロッパ語系民族で、中央アジア方面で遊牧生活を営んでいたが、イラン・インドに定住した人々である。アーリヤは「高貴な」という意味で、中央アジアの草原地帯を原住地とし、前2000年頃に大移動を開始して、一部はイラン高原へ進出し、他の一部は前1500年頃カイバル峠をこえてインド西北部に波状的に移住した。馬と戦車で先住民を征服してインド史の主要民族となったが、その後、農耕生活に入るとともに先住民との人種的・文化的な融合が進んだ。
カイバル峠
ヒンドゥークシュ山脈南部に位置し、アフガニスタンのカーブルとパキスタンのペシャーワルを結ぶ交通の要衝。この峠を利用してダレイオス1世のペルシア軍やアレクサンドロス軍などが侵入し、また大乗仏教が北方へ伝えられた。
パンジャーブ
インダス川中流域の肥沃な地域。インドと中央アジアを結ぶ交通路に位置し、アーリヤ人が最初に侵入、定着した。
ガンジス川
ヒマラヤ山中の氷河に発し、インド北東部の平原地帯を流れる大河。前1000年頃、アーリヤ人がこの流域に侵入し、定着した。
アーリヤ人の歴史
前2000年頃、インド・ヨーロッパ語の属する言語を話し遊牧生活を送る一団が、中央アジアに移住し、牧畜に適した土地で生活していた。前1500年頃、そのアーリヤ人の一部が南下を開始し、ヒンドゥークシュ山脈を越えてインドにははいった。また1000年前にイラン方面へのアーリヤ人の移動が始まる。彼らが伝えたゾロアスター教の『アヴェスター』の神々と、インド・アーリヤ人のヴェーダ聖典の神々との間には共通点が多い。
生活
当時のアーリヤ人の生活は牧畜を主とし農耕を営んでいた。牛を家畜として使い、大麦を主要作物とした。青銅や銅を用いていた。社会の最小単位は家父長的大家族であったが、戦争には氏族・部族の単位で行動した。部族を率いる首長はラージャンと呼ばれたが、その権力は部族集会によって制約をうける仕組みであった。
信仰
当時のアーリヤ人は自然現象を神格化した多数の神々を信仰した多神教であった。アーリヤ人たちは、祭壇を設けて聖火をたき、犠牲獣・乳製品・穀物などを供えてこれらの神を祭った。やがて、祭式を専門にとりおこなう司祭階級も現れ、祭式が整えられていく。
前期ヴェーダ時代
前期ヴェーダ時代(前1500頃~前1000頃)とは、インド最古の文献『リグ=ヴェーダ』がうたわれた時代で『リグ=ヴェーダ』は神々への讃歌を集めたものであり、前1000年までに成立した。讃歌の多くは、理想的な戦士とされる雷神インドラと、火神アグニに捧げられたものである。この期間にアーリヤ人は先住民との間に人種的・文化的な混血・融合を進め、農耕生活へ移行した。(参考:ヴェーダ)
『リグ=ヴェーダ』
『リグ=ヴェーダ』はアーリヤ人の歴史にとって重要で、リグは賛歌を、ヴェーダは聖なる知識を意味している。
後期ヴェーダ時代
後期ヴェーダ時代(前1000頃~前600頃)とは、肥沃なガンジス川上流域の各地に村落を設けて定着農耕の生活に入ったアーリヤ人が築いた時代である。『リグ=ヴェーダ』、『サーマ=ヴェーダ』(歌詠の方法)、『ヤジュル=ヴェーダ』(察詞)、『アタルヴァ=ヴェーダ』(呪語)というヴェーダが生まれ、バラモン教の根本聖典となった。インド=ヨーロッパ語の最古形のサンスクリット(梵語)で描かれている。
ヴァルナ制度
アーリヤ人は、ヴァルナ制度という階級制度をもち、カースト制度の初期の形態と考えられている。バラモン(司祭者)、クシャトリヤ(王侯・武士)、ヴァイシャ(農・牧・商に従事する庶民)、シュードラ(先住民を主体とする隷属階級)からなる。
バラモン教
バラモン教とは、バラモン司祭者のもとでヴェーダの神々を崇拝する宗教で、アーリヤ人の多くはバラモン教を信仰した。祭式至上主義・形式主義をその特徴とする。
ウパニシャッド哲学
バラモン教の一方でウパニシャッド哲学が生まれた。内面的な思索を重視する一派で、その思想は、ヴェーダの『ウパニシャッド』(奥義書)におさめられている。ウパニシャッド哲学の中心思想は、宇宙の根本原理ブラフマン(梵)と自我の根本原理アートマン(我)とが究極的に同一である(梵我一如)と悟ることによって解脱の境地に到達できる。また輪廻転生も見られた。
16大国
前6世紀ころ、アーリヤ系民族の政治活動と経済活動の中心が東方のガンジス川中・下流域へと移った。当時の北インドに存在した主要な国家が16存在し、16大国と総称される。
マガダ国
マガダ国は、ビンビサーラ(位前546頃~前494頃)とアジャータシャトル(位前494頃~前462頃)の時代に台頭する。肥沃な平原と豊富な鉄資源を背景に、強国コーサラを破り、前5世紀初め、ガンジス川中・下流域に覇を唱えた。